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2017年6月10日 (土)

清松橋ストリート 唐松編

 清住町から唐松町に行くには、この橋を渡ります。

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 この長い一直線の道。

 先がT字路になっていて、左に曲がると唐松駅があったところに行きます。

 清住町T字路から唐松町T字路まで測ってみると、0.587km、約7分。

 たかが7分なのですが、子供の足では遠い。まして、雪が降っていたらなお遠い。

 詳細はこちらからご覧ください。三笠高校から唐松辺りを歩く

 ということで、今回はこの一直線の道を歩いてみました。

 歩いたのは唐松側から。

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 雨がかなり降っていました。

 上から傘の紐の部分が垂れ下がっています。失礼しました。

 ちょうど写真を撮っているこの辺りを幌内線が通っていたと思われます。

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 こちらが幾春別側。

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 こちらが三笠市街地側。

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 そして清松橋。

 大人の足だとあっと言う間ですね。

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 昭和63年10月に完成しています。かれこれ30年ですか。。。

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 幾春別川上流側。

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 こちらが下流側。

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 橋を渡るとすぐ清住町側のT字路です。

 歩いてもあんまり感じるところも、思いだすところもなかったです。

 ただ覚えているのは、道路が長かったことと、雪が吹雪いて視界が悪かったこと。

 指先が冷たかったこと。まだかな。まだかなと言う感じかな。

 ずっと歩いていても覚えがあるのは、この道路とこの橋だけです。あとは三笠高校あたりから乗ったバス停だけです。

 遠い昔の話です。

 

 

 

 道は戻って、唐松駅です。

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 中に入ると、以前来た時より懐かしい写真がいっぱい!!

 中でもリアルだったのが、爆発事故の写真。立坑から白い煙が出ている写真です。

 思わず見入ってしまいました。

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 ホームに出てみると、線路跡がまだ残っています。こちらが幾春別方面。

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 こちらが三笠駅方面。

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 917号線から唐松町1丁目に入る道。左奥が唐松駅です。

 この道をずっと行くと、幾春別川を渡って清住町に抜けるもう一つの橋があります。

 橋の名前は不明。

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 唐松町側から清住町を見たところ。

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 こちらは清住町側から唐松町を見たところ。

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 上流の幾春別方面。

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 下流の三笠市街地方面。

 この橋は低い。

 水量はあるけど、流れが緩やかだからちょっと安心できます。

 これが流れが急だったら、子供の頃渡った桂沢の桂泉橋と被ってしまいました。

 

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北海道三笠市奔別・幾春別」カテゴリの記事

コメント

沢山の写真ありがとうございます
昔を思い出します。

清松橋は昭和63年10月に架け替えられたのですね
当時の橋は今よりも もっと下の方に架かっていたと思います、また 橋だけではなく道路もほとんどが盛り土され
当時の道の起伏を埋め立て、フラットな形状になっています。

多分、はなさんが記憶に残っている「吹雪の清松橋、一本道行軍!(映画 八甲田山的)」は今回の0.587km、約7分よりも、はるかに長く、時間もそれなりに掛ったと思います。

奔小から桂沢スキー場へ スキー板を担いで行く距離も結構長い
ですが、不安も無く(低い橋だけ不安)目的がしっかりしている分、まだこの方が良いのかも・・・
弥生町から三笠高校への行軍はつらかったと思います。

917号線から唐松町1丁目に入る道の途中に架る橋。
未だに何橋か橋名が分からないまま、当時 毎日渡っていました。写真を見ると橋幅が少し狭くなっている様です
当時の橋は欄干が木材で、おおよそ20cm幅の板状になっていたので、よく下校時度胸試し、といって端から端まで橋の欄干の上を渡ったものです。

唐松駅の写真、「こちらが三笠駅方面」にチラット家が写っていますが、このリホーム屋さんが近所の方々と清掃、維持・管理をして唐松駅を守っているそうです。
当時中学1年生の時に同じクラスで学級委員長の◯◯◯◯君、
中学3年には生徒会長だったあの、◯◯◯◯君、懐かしいです。

投稿: 唐松 | 2017年6月11日 (日) 12時39分

唐松の子さん こんにちは。

どこも当時より盛り土されているんですね。
でもこの道は昔も今もすり鉢状になっているんですね。
こうしてみると、唐松町も川沿いはかなり地が低いような気がします。

私が住んでいた頃、台風だと思いますが、幾春別川が増水して、川沿町の川沿いの家が浸かりました。
中の沢町では亡くなった方もいたような気がします。
その時唐松町はどうだったんでしょうね?
上の名前がわからない橋など、かなり低いような気がしますが・・・

唐松町で覚えているのは、一直線の道だけですね。
でも当時母が、唐松町に仕事に行ってました。
どこに行っていたのかわかりませんが・・・

投稿: はな | 2017年6月11日 (日) 15時28分

昭和41年か42年頃、大雨が降り 幾春別川の流域にかなりの被害が出たのを覚えています。
はなさんが言っていた洪水と一緒かどうかわかりませんが
・・・
そういう時に限って、会社や仕事・学校など、普段は遅刻
ばかりしているのに張り切るのは、私ばかりでしょうか?

汽車が(おかじょうき)不通になり 中央バスで学校に行こうと 唐松のバス停から ギュウギュウ詰めの車内へ・・・
やはり 予想していた面子がそろっているのです

人間て不思議なものですね

清松橋の清住側に小さい沢が 崖下に有るのですが、
幾春別川本流の水量があまりにも多いため、逆流して周囲の崖を削っている光景は 恐怖でした。
やはり家で寝ていればよかったかな、と後悔でしたが・・・
バスはどんどん進み萱野から岡山辺りで、普段は見えない
川底なのに その日の幾春別川は 濁流が畑すれすれまで
迫っていました 川下に有る岡山橋は大丈夫だろうか?

私のイメージでは グランドキャニオンに水が、なみなみ注いでいる状況に見えたのです。

その後、各バス停で休校になった学校などの情報から判断し、勝手に我が校も休校ということで シャンシャン。

妙に、達成感がみなぎり、意気揚々と学校に背を向け 我が家に戻ろうと思った所までで記憶が途切れています・・・

当時、被害に逢われた方に お悔やみ申し上げます。

投稿: 唐松の子 | 2017年6月13日 (火) 18時56分

唐松の子さんへ

調べてみたら、昭和41年8月19日でした。

奔別の鳥居沢、中の沢、私がいた川沿町、被害が大きかったのです。
川沿桂町の川よりの住宅(奔別橋近く)が数件水に浸かりました。
川沿本町も川よりの家が流されそうになり、土嚢をみんなが積んでいました。
川沿町自体、浸水するんではないかとみんなが心配してました。

唐松のあたりも結構被害があったようですね。
幌内線は幾春別川に沿って走っていたので、浸かったところもあったんじゃないでしょうか。

この災害より2か月半後、奔別炭鉱で爆発事故があったのです。

投稿: はな | 2017年6月13日 (火) 20時26分

昭和41年8月19日でしたか。
遠い記憶です・・・

奔別・幾春別地区は、地形的にも山へ降った雨が、直に
町へ流れ込んで来るし、川幅も狭いので被害も相当深刻な状況だった様ですね。

はなさんが当時のことを、子供ながらに覚えているのは、
それだけインパクトが強かったのでしょう。

唐松地区以西は、雨が多かったわりには、一部 川の許容
範囲を超えてた所もありましたけれど、それ程の被害はなかった様です。 って言うか、あまり記憶がないのです
スミマセン

ただ、8月19日に学校に行こうとした根拠を 思い出させてもらいました

それは、「補習授業」・・・高校の3年間、夏・冬休み、まともに休んだ事がないのです、異常な程、成績がわるかった!

バスの中で、予想していた面子がそろっていたのも
うなずけます。

そして2か月半後、奔別炭鉱で爆発事故があったのですね・・・

あれから、51回目の夏を迎えようとしています。

投稿: 唐松の子 | 2017年6月14日 (水) 11時21分

唐松の子さんへ

実は災害後、中の沢や川沿桂町まで見に行ったのです。
たぶん翌日は学校が休校になったのだと思います。

川端町にある生協裏から、土石流みたいなものが道に流れていました。

中ノ沢は家の中を濁流が通った後がありました。
奔別会館(映画館)の裏に段差があって滝のようなところがあるのですが、そこを洗濯機が流れていました。
川沿町の河原にある巨大な石も、何回転したのか、普段の形ではありませんでした。
本沢方面で亡くなられた方もいたと聞きました。

北海道に台風なんて、そう来ないじゃないですか?
見た光景は本当に怖かったです。

投稿: はな | 2017年6月14日 (水) 18時32分

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