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2013年9月16日 (月)

爆竹の鈴木病院

 奔別関係は書くのはやめようと思っていたのですが、長いことわからなかった幾春別の病院名がわかりました。

Suzuki_hospital  「鈴木病院」と言うそうです。

 上の写真の赤丸で囲ったところです。

 この基の写真は、国土地理院の昭和52年の空中写真です。

 私がいた頃は廃屋の病院でした。でも昭和52年の写真にこうして写っているということは、建物が壊されなかったか、その後新しく開業したか・・・
 真偽のことはわかりません。

 以前書いた「幾春別人道橋と病院跡地」で書いた病院です。

Pano  上の写真は人道橋があったハルニレの木(上の青○のところ。木の影が見えます。)のところから鈴木病院方面を撮りました。

 正面の林が鈴木病院です。
 右の青い車の左横の緑の平地は線路跡です。
 左青い家の向こうに立抗が見えます。

 今では桂沢に行く116号線の道路が駅前を通っているので、病院の敷地は1/3は削られてしまったのでしょう。

 数少ない奔別での思い出の中でも、この爆竹事件はわりと鮮明に覚えています。

 何回か行っても、なかなか病院名がわからず、喉の奥に骨が引っかかったような感じでした。

 教えてくださったikuさん、同窓会出席のみなさん、ありがとうございました。

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北海道三笠市奔別・幾春別」カテゴリの記事

コメント

はなさん、無事同窓会も終わり、今、帰途についています。

鈴木病院…絶対的な自信はないのですが、当時奔別小学校の先生をしていた遠田先生にお聞きすると、鈴木病院というのがあったと教えてくださったのです。幾春別に住んでいる同窓生もその名前を言っていたので、そうかもしれないということになりました。

何人かであのニレの木の近くまで行き写真の角度で考えてみたのですが、奔別に住んでいたわたしたちには、馴染みがなくハッキリはしませんでした。

記憶にある頃はまだ診察をしていたのでは?という人もいて確信はありません。

同窓会の翌日は山口先生のお墓参りにも行き奔別方面にも行ってみました。あいにくのrainで歩いて散策できず残念でした。

更科そばにもいきましたよ。相変わらず盛況でした。

そうそう、岩見沢駅まで、炭鉱の記念館を見つけました。奔別の立坑ができるまでの当時の映像も観ることができます。

なつかしいダルマストーブもありました。

また、是非行ってみてください。


投稿: iku | 2013年9月17日 (火) 19時59分

長崎の軍艦島が世界遺産なら奔別も!

投稿: 山下ア | 2013年9月17日 (火) 22時48分

ikuさんへ

ありがとうございました。
台風の影響でたいへんでしたね。

わざわざハルニレの木まで出向いてもらって確信していただき、とてもうれしく思います。

私がみんなで行ったのは5年生の時か6年生の時か覚えはないです。
でも建物は平屋の廃屋で、入ってしばらく行くと、2段ぐらい階段を下りたら廊下がありました。
その廊下の奥は右曲がりになっていて、そこからおばあさんが出てきました。
今考えると、建物的に病院だと思っていましたが、施設や診療所かも・・・
でもあの時代施設なんてなかったように思うし、大きさ的に病室があるようなそんな大きさだったと思います。
その後、人道橋を渡って山の手方面に行きました。
行ったのはその1回だけで、後は行ったことがありません。
だから病院も本間病院以外は知らないし、幾春別の町自体もあまり覚えがないです。

山口先生のお寺は月見坂下のお寺ですか?
5月に行った時は屋号も降ろしてましたね。
幾春別もだんだん寂しくなります。

炭鉱記念館は知らないです。
ダルマストーブ、今でも使っている所あるのでしょうか?
今度行く機会があったら是非寄って見ます。

投稿: はな | 2013年9月18日 (水) 12時03分

山下さんへ

軍艦島、一度この目で見て見たい!

でもあれだけ廃墟で残っていると、余計に悲しくなりますね。。。

大夕張に比べたら奔別はまだ幸せかも・・・

投稿: はな | 2013年9月18日 (水) 12時07分

 お早うございます。久しくの三笠談義でうれしく思います。病院跡地のことで、お話します。昭和52年当時の国土地理院の空中写真は、病院跡地の三笠消防幾春別出張所の建物と待機宿舎です。これは病院を壊した後に建てたものです。病院は、昭和30年代に老朽化し、解体されたと記憶しております。鈴木病院かは、もう少し調べさせてください。

投稿: エム村上 | 2013年9月24日 (火) 08時31分

エム村上さんへ

三笠消防幾春別出張所・・そうなんですか?!
やっぱり病院の建物じゃないのですね!!

昭和52年の写真を見ると、北から入ってすぐ西に延びる建物の作りになっていますが、私の記憶では北から入って、長い廊下があって右(西)に建物が延びていたと思いました。
「おかしいなァ~。記憶違いかなァ~」と思っていましたが、消防の建物でしたか・・・

>昭和30年代に老朽化し、解体されたと記憶しております。

私がいた頃にはまだあったので、42年以降に解体されたと思いますよ。
(いつ解体されたかは知りませんが・・)

それでも窓ガラスも割れていたような覚えがないので、お化け屋敷ではなかったと思います。
平屋の病院でした。

投稿: はな | 2013年9月24日 (火) 16時06分

はじめまして!奔別歩きが大好きなオッサンです。「もう奔別は終了」と仰っているのに割り込みまして申し訳ありません。月見坂の奥に数千人の人々が生活する町が存在していたと知ってから、都合がつくと訪問しております。今回「幾小と奔小の学区区分」について調べていて、このブログにたどり着きました。廃墟おたくの情報が溢れる中、これほど往時の状況を雄弁に語るサイトはなく、関連記事をむさぼるように拝見しました。はなさんも、そしてフォロワーの皆様も素晴らしいです。往時のことを知りたくて現地でお話を聞こうにも知っている人はほとんどいません。かつて日本一のマンモス学校だったはずの奔小の子供たちはいったいどこにいってしまったのだろうか・・・と思っておりましたが、ここにいたのですね。11月の雪の降り始めの頃、奔別を訪問しました。川向の炭住(公住?)はちょうど取り壊しの最中。桂町へ向かう奔別橋のたもとにあった木造の一軒家も、お住まいだった方がお亡くなりになって取り壊されました。降雪後なので見通しがよく、変電所の裏手、坑口の近くには、住友工業高校の門柱と階段、そして浴場とトイレを見つけることができました。次回訪問されることがありましたらお声をおかけ下さい。その場合、パンプスではちょっと無理かもしれません。以上、大変失礼いたしました。

投稿: ウインデー | 2014年2月 4日 (火) 23時09分

ウインデーさんへ

初めまして。

いえいえ、奔別のコメントは大歓迎です。
このブログにはたくさんの奔別にいた方からコメントいただいてます。
ウインデーさんも奔別にいらした方でしょうか?
奔別にすぐ行けるようなところにお住いのようで、とてもうらやましく思います。
地形も変わっていますので、あと10年もすると繁栄時の面影は全くもってなくなってしまうでしょうね。
今のうちによく見ておいて下さい。

>11月の雪の降り始めの頃、奔別を訪問しました。川向の炭住(公住?)はちょうど取り壊しの最中。桂町へ向かう奔別橋のたもとにあった木造の一軒家も、お住まいだった方がお亡くなりになって取り壊されました。降雪後なので見通しがよく、変電所の裏手、坑口の近くには、住友工業高校の門柱と階段、そして浴場とトイレを見つけることができました。

川向の炭住とは幾春別の山の手町にあった住宅でしょうか?
空き家が目立っていたので、無理もないかも・・・

奔別橋の一軒家さんは、○○料理のお店だったところですね。
そうですか・・・もうないのですね・・・

住友工業高校の門柱と階段、浴場とトイレは知らないです。
どの辺にあったのでしょうか?

私は知らないところが結構あります。
知らないところを刺激されるとまた出かけて行きたい思いもあります。

こうやって建物がどんどん壊されて、ますます奔別は自然化して行きますね。
寂しい限りです。

奔別に入るのにパンプスは無理ですね。
重々わかっております。coldsweats01

コメントありがとうございました。

投稿: はな | 2014年2月 5日 (水) 16時10分

早速のコメント有難うございました!
一読者がはなさんと語れるとは・・かなり感動しております。残念ながら私は奔別出身ではありません。旅行中に偶然通りかかった幾春別で見かけた竪坑に魅せられて、それが遠因となって移住してきてしまいました。空知の炭鉱町全般に興味があるのですが、特に原点ともいえる奔別には格別の思いがあります。取り壊したのは橋のすぐ南方、住所でいうと川向町となります。「奔別橋のたもとの一軒家」は書き方が悪かったですね(笑)元・某国料理の店の前からすぐ川に降りていく道があったのですが、その途中にあった、昭和チックな家のことでした。桂町や川向町にも生活の痕跡はほとんどありません。消火栓くらいです。高校の跡(と思われる)場所のトイレと浴槽はかなりシュールな光景です。排気ブロアーの近くですが、夏季は見つけることは相当困難だと思います。雪が降って初めて発見しましたので。メールをいただければ写真を返信致しますよ~。

投稿: ウインデー | 2014年2月 6日 (木) 23時14分

ウインデーさんへ

○○料理のお隣さんにあった家ですか?
わずかに残っている川沿町から奔別橋に続く道沿いにあった家だと思います。
そうですか・・・残念ですね。

桂町は生活観の痕跡はないですね。
わずかに地形だけが残っているだけです。

高校がどこにあったかわかりません。
ブロアー、浴槽、トイレ跡ですか…?
ひょっとして旭町あたりに残っている家屋のことでしょうか?

旅行に来て魅せられて、移住ですか?
なんとまぁ!ドラマチックな!!・・・

私の周りにもそう言う方がいるのですが、ウインデーさんはホントに実行してしまったのですね~。

私も近くに住んでいたかったです。
が、あの冬の雪の多さと寒さには閉口ですけど。。。

投稿: はな | 2014年2月 7日 (金) 11時47分

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