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2013年5月18日 (土)

映画館裏の曙町から奔別神社へ

 ここは映画館があったあたりから奔別川を見たところ。
 P1040200  左に橋らしきものが見える。
 ズームすると・・・

P1040201  中ノ沢から流れてくる支流の合流点らしい。

P1040213
 横に見えるのは砂防堰。(車のある場所からちょっと下あたりで撮りました。)
 この砂防堰の20m西ぐらいに映画館がありました。

P1040202 この道のずっと先に行ってみたかった。
 ので、下まで下りてみることにした。

P1040203  振り向くと車のあたりが映画館があった場所だと思います。
 この道は曙町に続く道ですか・・・
  (対岸側を曙町と言ったそうだから、中ノ沢に続くでいいのかな・・・)

Nishikicho  奔別川と中ノ沢から流れてくる支流の合流点。

 コンクリートの護岸が崩れていました。
 先に見えるのは対岸に続く橋だと思います。

 対岸には何かが・・・

P1040207
 何の遺物なのかわかりません。

 ※上の遺物は昭和6年開坑、昭和20年廃坑になった中の沢坑だそうです。(※戦中戦前の奔別炭鉱原風景より)

P1040209

 下流側には砂防堰と思われる滝があります。

P1040211

 支流側には橋だと思われる基礎が・・・
 この向こうにたくさんの炭住が建っていました。
 何年生のころか忘れてしまいましたが災害があって、この支流の両脇の建物が流されたのを覚えています。

 この上にくるみ幼稚園があったそうです。

 動物の足跡、フンがいっぱい!!
 危ない、危ない、退散します。

 車は本沢方面へ。

P1040216

 このあたりに神社がありました。

 去年来たときに階段らしきものを見つけましたが、どのあたりだったか・・・

 たまたま道路清掃している方が見えたので聞いてみました。

 ここです。
 上の写真の右手のちょうどカーブする辺りに、

P1040214

 石碑があります。
 ズームすると・・・

P1040215
 道路から見えるのですが、笹に隠れてすべてが読めない。
 神社跡地まではどう見ても入れません。

 石碑には
 昭和14年に建立されたもので「神社に拝礼いたしませう 南友子会」と記されているそうです。(※戦中戦前の奔別炭鉱原風景より)

 私はこの神社には来たことがなかったのだけれど、奔別神社というそうです。
(奔別神社は中ノ沢町内にあったそうです。)

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

参考資料 戦中戦前の奔別炭鉱原風景

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北海道三笠市奔別・幾春別」カテゴリの記事

コメント

はなさん、奔別へ行ってきたのですね。わたしもご一緒したかったです。

年々、町があったという跡も薄らいできますね。

寂しいですが、こうして記録として残してくださることで、忘れずにいられることは有難い限りです。

川沿町は、上川端から下ると三角屋根の家がありお風呂屋さんは川端町のお風呂より大きくて、たまに友だちと入りに行った記憶があります。

その突き当たりの林で木々の間をくぐりぬけるようにスキーを楽しんでいた高校生がいましたね。

幾春別神社はお祭りに行きましたね。あの頃は、出店もいっぱい出て楽しかったです。学校も休みでしたね。
奔別神社にもわたしは遊びに行ってましたよ。

懐かしい限りです。

投稿: iku | 2013年5月18日 (土) 20時58分

ikuさんへ

ごいっしょしたかったですね~。
ikuさんは近々行かれるようなので、その後の奔別、幾春別を見てきてください。

川沿町の三角屋根の家の位置、確認したのですが、川の位置がだいぶ変わっています。
川原が笹で覆われて、現在は山側に流れています。
三角屋根の家のところで少し蛇行していたのですが、今は直線でした。

山肌でスキーをしていたらしいですね。
いっしょに行った方に聞きました。
私は覚えていないのですが・・・
山が削られていたことは覚えています。

奔別神社まで上って行く覚悟で行ったのですが、どう見ても無理。
神社跡は原生林に埋まってしまっています。
それに作業員さんにあまりいいこと聞かなかったので、余計に引いてしまいました。

投稿: はな | 2013年5月19日 (日) 07時58分

凄いね。ー自然に帰るのが速くて、昔の面影を捜すのも苦労が要りますね。胴長ゴム靴でも危険が伴いそうで、写真を見せて貰うのも気が引けます。まるで川口浩の水曜スペシャル探検隊だー。ミンダナオ島程ではないけれど奥地を目指すのも苦労が要りますね。奔別神社はかって抗グチが本沢の奥に有った名残でしょう。私の親達が一時期本沢でしたから、中ノ沢の本沢寄りに立派な神社が有りましたよ。本沢には大きな寮や倶楽部集会所や警察の派出所が風呂の近くにまとまってました。

投稿: ししちゃん | 2013年5月19日 (日) 14時58分

ししさんへ

ホントだ!
そういえば「川口浩探検隊」の番組ありましたね!
きっと川を渡って対岸に行っていたら、川口探検隊並みになってましたね。
でもそこまでの勇気はないです。

今の時期だったからここまで下りてくることができたのかも・・・
夏場だととんでもありません。
自然にかえるのは早いです。
それより足跡、フンが多くて、ドキドキでした。
家に帰ってから調べたら、どうやら鹿のフンだったようです。

奔別神社は覚えてないです。
でも奔別にあった唯一の神社だったから、さぞりっぱな神社だったのでしょうね。

投稿: はな | 2013年5月19日 (日) 18時34分

上川端のバス停の坂をあがったところは寿町と言いました。
炭鉱の事務所があったそうです。(父談)
炭住もあったようですが、私は坂の上には行った覚えがないです。
たぶん友達も居なかったのでしょうね。

川沿町に降りる坂は、すごく長かったような気がしてましたがそうでもなかったんでしょうかね?

投稿: まんみ | 2013年5月20日 (月) 09時26分

まんみさんへ

寿町ですか?旭町ではなく?
炭鉱の事務所はあったようですね。
職員さんの住宅が立ち並んでいたそうです。
私も行ったことありません。

川沿町の坂は今はちょっと曲がっているのです。
昔は直線でした。
今は排水溝もあります。
もっと急勾配だったと思うのですが、川沿町が少し埋め立てられた?
だから勾配もありません。
昔は子供目線だったから、月見坂も鳥居沢にある日本商事ストアに行くにもかなり遠かったように思います。
距離にすると川沿~日本商事ストア1kmもないよね~!

投稿: はな | 2013年5月20日 (月) 17時38分

上川端の上の方が寿町で、下川端の上側が旭町なのかな~?

確かに川沿の坂は真っ直ぐでしたね。
坂の上から炭住が見渡せたっけ!

くるみ幼稚園も遠かった!
今で言うスクールバスで通ってましたよ。
幾春別から来てる子もいました。

小学校の時は、雨が降ると家の人が傘を持ってみんな迎えに来てました。

父に傘を持って行くようにと頼まれた事もありました。
月見坂を下って会社の事務所に行くんですが、広くて父が何処にいるのかわからなくて本当は行くのが嫌だったの(´・ω・`)

投稿: まんみ | 2013年5月20日 (月) 23時13分

まんみさんへ

寿町ですか。
旭町は全体が会社関係の事務所だったのでしょうかね?

スクールバスですか?!すごい!!
当時としては最先端を行っていたのですね!

傘を持って子供のお迎えですか。
今では当たり前の光景ですが、当時としてはめずらしいですね。

私も父が出勤の時に、奔小から下りる坂道を通って、立抗入口までお弁当を持って毎日見送りしてました。
立抗入口にはたくさんの人が行き来してました。
みんな歩いて行っていたよね。

投稿: はな | 2013年5月21日 (火) 07時22分

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