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2013年5月21日 (火)

月見坂と奔小への坂道

P1040251  こちらは奔別へ続く月見坂。

P1040258  そして立抗です。

 奔別=立抗=月見坂。
 奔別を語るになくてはならない象徴です。

P1040257  月見坂の途中から立抗に下りていく道がありました。
 この坂を下りてたくさんの人たちが立抗のなかに入って行ったのです。

 この立抗に下りていく道より少し上に上がったところに、

Sakamichi  奔別小学校に斜めに上がっていく坂道がありました。

 それがこの道。

 今回発見したのです!!

 なぜなら、坂道を照らしていた街灯らしきものを発見!

1_n_image  道路より少し上がったところにまず1本。

2_n_image  ちょうど中腹あたりに2本目。

3_n_image  そして上りきったあたりに3本目。

4_n_image  これは3本目を坂上の道路から見たところ。

P1040260  坂を上りきった反対側は奔別小学校の校舎と幾春別小学校グラウンドの境目あたりでした。

 ここだけ地が少し高くなっているので、たぶん校舎があったところだと思います。

 坂道を確認できるなんて感激です!!
 夏なら絶対にわからなかったでしょう・・・

 この坂道を通って、父を立抗入口まで送りに行っておりました。
 この坂道を通って、幾春別の町に行っておりました。

 当時は街灯がついていた覚えはありませんが、みなさんが通っていたことには間違いないですね。

 

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北海道三笠市奔別・幾春別」カテゴリの記事

コメント

 やはり、帰郷されたんですね。毎年の行事とはいえ、その行動力に敬意を表したいと思います。年々、三笠の奔別は自然に近づいていって、とても寂しい気がします。でも、朗報というか、複雑な楽しみが一つ。奔別川の上流、つまり、中ノ沢から本沢の奥がダム化されます。これは決定事項です。自然破壊という意味ではとても悲しい。それが複雑、でも、人の出入りが盛んになって、少しは活気ずくか、要するに幾春別がもうすこし増しになるかが期待です。はなさんに負けないようも初夏の奔別を訪問しようと思います。はなさん、夢をありがとうごさいます。

投稿: エム村上 | 2013年5月21日 (火) 08時52分

はなさん おはようございます。

そうそうこの坂です!
私はこの坂を月見坂って言ってました。

市街に行くのに通ってましたよね。

昔は当たり前だった光景が
年月と共に薄れていくのは寂しいです。

でも、はなさんの観察力はすごい!
年々発見もあるんですね。

投稿: まんみ | 2013年5月21日 (火) 10時14分

いよいよ来ましたね。待ってました。幾春別大火で旧国民学校が全焼した為に、幾春別小学校と分離して奔別小学校が開校したのが昭和二十三年ですから、私が四年生の時です。三年生の時は、坂下町の仮校舎で担任の先生は佐藤富士江先生でした。(かって、一度お名前が登場しましたね)
この近道は校舎引越しの時、各自の自分の椅子を抱えて登りました。机はロータリー廻りで二人で運んだ想い出があります。住居が新町でしたから三年半はこの近道が通学路でした。最初は獣道の上等程度で擦れ違う時は一方が止まりましたね。学校帰りは走り下るのが面白かったです。見たかった貴重な写真で天候が残念です。幾春別大火は、私も被災家族で大火時、風が勢いを増し火炎を下に見ながらこの坂を登ってグランドに避難してたら、校舎に火が移り今度は川沿町へと逃げ処が定まらず外が暗くなり急きょ川沿町の二階建ての家の二階だけを空けてもらい曙町に家が建つまで川沿でお世話になりました。新町に間取の広い炭住にが出来又すぐに転居したした。

投稿: ししちゃん | 2013年5月21日 (火) 12時22分

月見坂はよく通ったし、冬はスケートで滑り下りて遊んでました。
スケートといってもスキー靴に付けるやつで先がギザギザになってます。

昔は舗装なんかされてなかったよね?

奔別小にあがる斜めの道に、街灯があったなんて初めて知りました。
夜、「月がとっても青いから」を唄いながら通った記憶があるけど、街灯は覚えてません。
でも、あったんだね。
すごい発見!

奔別小の運動会の記憶が…なんとなく。
グランドで野球してて、ボールが崖に落ちて取りにいったような…。

奔別小はまだまだ思い出すかも?
きっとみんなで話せばいろいろ思い出すんだろうなぁ。

投稿: hokepie | 2013年5月21日 (火) 13時59分

エム村上さんへ

はい。行ってきました。
札幌は寒かったです。
名古屋は29℃。札幌9℃。20℃の差でした。
着るものを冬物持って行って正解でした。

奔別ダムができると、奔別を流れている川の流域が変わってしまいますね。
ますます分からなくなってしまいますね。
でも幾春別にとっては活性化されるかも・・・
年々幾春別の町も簡素化してますものね。
人口もだいぶ減っていると思います。
どうにかできないものでしょうか。
あるものがなくなっていくのは寂しい限りです。
今のうちにたくさんのものを見て、心に残しておきたいと思います。
そのうち奔別自体を知っている人もいなくなっていきますものね。

投稿: はな | 2013年5月21日 (火) 16時42分

奔別ダムの話は随分前に聞いたことはありますが、その時は「なし」になったように聞きました。

今度は本決まりなんですね

複雑な気持ちです。

リアルタイムで奔別のことを語れる人が段々少なくなってしまいますね。

わたしの父は81歳でまだ元気なので時々話はできますが、当時の仲間が亡くなっていくと毎年寂しそうです。
今も、幾春別の街で何人かの同級生が頑張ってぃますが、どうにか活性化してほしいです。

学校のことをよく話してくださった山口先生も昨年お亡くなりになり、今年の同窓会は少し寂しくなります。

投稿: iku | 2013年5月21日 (火) 18時28分

まんみさんへ

ねぇ~!あったんですね。
この時期だからわかったんですね。
夏に行ったら草木でわかりません。
いっしょに行った方がこの坂を上ってくれて、街灯を発見しました。
下から見ただけではわからないかも・・・
この道は是非とも見つけたかった場所でした。
ラッキーです!

投稿: はな | 2013年5月21日 (火) 20時06分

ししさんへ

やっぱりここが奔別の一番のメインな場所ですね。
天気がよかったらもっとはっきり坂道もわかったと思います。
でもこの頃雨降っていたのですよ。
この坂道の頃はポツポツ程度に雨が降っていました。
そんな中でもこうして発見できたのはラッキーでした。
月見坂にはみなさんいろいろな思い出があると思います。
立抗共々未だに健在!!
歴史を語る坂道です。

投稿: はな | 2013年5月21日 (火) 20時11分

hokepieさんへ

こんばんは。
月見坂は舗装されていたのか・・・覚えがありません。
私がいたときには舗装されていたような・・・バスも通っていたし・・・
どうだろう・・・
知っている方がいたら教えてください。

坂道の街灯は私も記憶にないです。
でも街灯がなかったら、夜道は真っ暗で通れなかったですよね。

投稿: はな | 2013年5月21日 (火) 20時17分

ikuさんへ

奔別ダムができると奔別にとってはマイナスでしょうね。
地形も変わるし、環境も変わっていくように思います。
でも幾春別にとっては、観光資源になるかも知れないから活性化の対象になるといいですね。

あと何年、奔別のことを語れる人がいるでしょうか。
増えるものはなく、1つ、1つなくなっていく故郷は寂しいですね。
幾春別の町がこれ以上寂しい姿にはなってほしくありません。

投稿: はな | 2013年5月21日 (火) 21時04分

月見坂で盛り上がっていますね。月見坂は、舗装されていましたよ。バスか通っていた道路はほとんど舗装されていたと思います。

雨ふりにはかさを立抗下の事務所へ月見坂を歩いて届けたこともありました。


月見坂は奔別と幾春別とを結ぶ大切な道でした。
あの道から見る立抗は印象的でした。

坂道は奔小までの近道でしたね。時々通ったりしましたが、あぶないのであまり通らないように言われた記憶があります。

どんな場所も鮮明に覚えています。
本当になつかしいです。

投稿: iku | 2013年5月21日 (火) 22時19分

ikuさんへ

月見坂で盛り上がってます。
こんなにいっぺんにコメントが来たのは初めてです。
とてもうれしいです。
みなさん、ありがとうございます。

月見坂は奔別の入口で、重要な幹線道路でしたね。
いた頃はこの坂が「月見坂」と言うなんて知らなかったです。
ほかの事は忘れても、この坂だけは鮮明におぼえてます。
それだけ印象が深かったんだろうと思います。
みなさんからもこれだけコメントが来るというのは、やはりこの坂が印象深いんでしょうね。
立抗共々、奔別の象徴と言えると思います。

今では坂も短く、道路幅も狭く感じますが、子供の頃は家までが遠かった。
もう、遥か昔のことになってしまいました。

投稿: はな | 2013年5月22日 (水) 06時44分

 皆さん、こんにちは。そして、はなさん、いろいろご苦労様です。しばらくは、月見坂で盛り上がりそうですね。月見坂から近道は、市街地にいくのにうってつけの道でした。上った直ぐ近くに、奔小の用務員の出入り口があった。それから左側に進むと上川端に…。右手は幾小のグランドを経て、校舎へ至る。私の家は、グランドを横断すると当時ハイカラだった桂町の四階建ての社宅でした。今は、うっそうとニセアカシヤが群生し、当時の面影はありません。この時期は、まもなく、炭坑祭り、出店が幾春別の街に並びました。……思い出はつきません。
 はなさんありがとうござてます。感謝

投稿: エム村上 | 2013年5月23日 (木) 08時33分

エム村上さんへ

そうですね~。
月見坂で盛り上がっています。
奔別を語るにはなくてはならない場所ですものね。
当たり前といえば当たり前ですね。

この坂を上ると大きな街があったなんて、
今じゃ考えられないですね。
みなさん、どこ行っちゃったんでしょうね。
寂しい限りです。

投稿: はな | 2013年5月23日 (木) 19時42分

 はなさん、moです。本当に有り難うございました。今回は残念ながら、同行はかないませんでした。
 はなさんのブログにもどなたか記載されておりましたが、今更ながらはなさんの行動力に敬意を表しております。
 写真箇所の矢印の工夫も有り難うございました。大変わかりやすかったです。
 お疲れが出ませんように・・・・。

投稿: mo | 2013年5月23日 (木) 20時28分

moさんへ

おはようございます。

いつもコメントありがとうございました。
私の知らない奔別の発見がありました。

ご一緒できなかったのは残念でしたが、またいつか奔別を訪れてください。
まだまだ新しい発見があるかもしれません。
このまま埋もれてしまうには悲しいですよね。
どこが管理しているのかわかりませんが、立抗も長く残ってほしいです。

海外の方はどうでしたか?
これから暑い日々、お仕事頑張ってください。

投稿: はな | 2013年5月24日 (金) 08時42分

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