« 秋の夜長に一曲 | トップページ | 自然がいっぱい! »

2012年10月 6日 (土)

幾春別のハルニレの木

 幾春別の跨線人道橋跡地近くにある「ハルニレ」の木。

Harunire  この木なのですが、三笠市の名木であることを最近知りました。

 幾春別の郵便局から山手町に向かう途中にあります。

 私がいた頃からあったと思うのですが、全然記憶にはありません。

 この木が楡の木であることも知りませんでした。

Harunire2  樹齢何年なのでしょう?

 夏に行くと葉に覆われてわからないのですが、この裏側の幹は裂けていて木全体が傾いて、非常に可哀想な状態になっています。

 それでもたくましく、葉をつけてくれるのでまだまだこの町を見続けてくれるでしょう。

 毎回幾春別に行った時通りますが、今度行った時はじっくり観察してこようと思っています。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

北海道森林管理局

そらちの森の巨人たち

|

« 秋の夜長に一曲 | トップページ | 自然がいっぱい! »

北海道三笠市奔別・幾春別」カテゴリの記事

コメント

名古屋近郊も秋の気配?庭の生垣や排水溝から、「イヌマキ」「プリペット」郊外の高台?想像してました。私の時代は歩道橋が無いので直接木にタッチしたりして通りました。近くに幾春別炭鉱員向けの配給所も有りましたよ。真夏はチョット一休みで汗を木陰で袖で拭いましたね。幾と奔の違いのスクロールが楽しいねー。話題と時代がズレそうで我慢してました。

投稿: ししちゃん | 2012年10月 6日 (土) 15時39分

ししさんへ

お久しぶりです。
名古屋も朝晩、過ごしやすくなりましたが、日中はまだまだ暑いです。

この木が名木なんて知らなかったです。
どこかのサイトに樹齢600年余と書いてありました。
すごいですね。
何気なく毎回通っていたけど、今度行った時はじっくり見てこようと思ってます。

「奔別と幾春別の違い」にはいろいろな方が参加してくれました。
ししさんも遠慮しないで参加してください。

ちなみにうちの垣根は平凡な「ツゲ」です。

投稿: はな | 2012年10月 6日 (土) 18時37分

偶然、見つけたブログでした。わたしも子どもの頃、奔別に住んでいました。下川端町です。閉山とともに、北海道を出て大阪の地にいます。私たちは閉山前の最後の奔別小学校の卒業生です。35歳の時から5年毎に同窓会を開いています。行くたびに、故郷の変化にもの悲しさを覚えたり、当時をなつかしんであっちこっちを見に回ったりしています。たくさん写真をupしていただいてありがとうございます。

投稿: iku | 2012年10月 8日 (月) 15時43分

ikuさんへ

初めまして。

奔別小学校最後の卒業生ですか・・・
その時代は東洋一と言われた小学校だったのに、ikuさんが卒業する頃は何人だったのでしょう?
寂しいですね。

5年毎に奔別に行かれてますか。
同窓会ができるということはうらやましいですね。
是非長く続くことを祈ってます。

奔別は年々益々自然化しています。
草木ボウボウの荒れ放題です。
非常に寂しいことです。
いずれ原生林化してわからなくなると思います。

是非行ける機会がありましたら訪れてください。
私もまた訪れてみようと思ってます。

コメントありがとうございます。

投稿: はな | 2012年10月 8日 (月) 21時10分

わたしが、卒業したときは30数名の4クラスでした。そのまま、幾春別中学校へ進学した人が、ほとんどでした。下川端から歩いて行ってました。多分ハルニレの木も見ていたような気がします。
 
この6月の末にお世話になった先生がお亡くなりになって幾春別に行ってきました。少しだけ当時の面影を残したままのところもありましたが、すっかり年をとった町になって寂しい限りです。 
 はなさんはいつ頃まで、奔別にいらっしゃったのでしょうか?

投稿: iku | 2012年10月 8日 (月) 23時35分

 ニレの木のこと
イク様、はな様わくわくする話題に乗ろうと思います。人道橋近くのニレの木のことは全く気にとめずに、幾中に通っていた思いがあります。こうして写真を見せて頂くと、そういえば、行く先の左側に横たわっていた覚えがあります。イク様は「ぽんしょう」最後の卒業生なんですね、私の妹より下のように感じます。ニレの木の付近の集落は幾春別川向と言ってなかったですか…。
 まあ、とにかく、幾春別、奔別のことでは話題がつきないような気がします。はなさんには心底から感謝いたします。
 北海盆踊りの発祥の地が三笠にまつわるお話でも聞けたらとても素晴らしいことが思い出されるような気がします。
 ありがとうございます。

投稿: エム村上 | 2012年10月 9日 (火) 09時16分

ikuさんへ

閉校時でも4クラスあったんですね。
私がいた頃も4クラスだったと思います。
3年弱しかいなかったので、幾春別に関しては皆無に等しいぐらいです。
確か幌内にあるモダンアートミュージアムに閉校時の写真残っていたように思います。(間違っていたらごめんなさい。)
懐かしい思い出が結構詰まっていますよ。
今度行かれたら是非、立ち寄ってください。

幾春別でお葬式ですか?
何という先生でしょう?

幾春別はホントに錆びちゃいましたね。
でも奔別鉱のホッパーではイベントをしているらしいし、少しでも活性化してほしいですね。

投稿: はな | 2012年10月 9日 (火) 22時07分

エム村上さんへ

このニレの木はみなさんよく知っているんですね。
びっくりしました。
5年連続で行ってても、この木には注意を払ってなかったです。

>北海盆踊りの発祥の地が三笠・・・
えっ!ホントですか?
知らなかったです。

投稿: はな | 2012年10月 9日 (火) 22時14分

はなさん、村上さん、本当に奔別の話題はつきませんね。確かにニレの木があった辺りは川向という地名だったと思います。近くに生協があって、白蛇を祭っているので大切な木だと言われていたような記憶があります。その横を通り、長い坂道を上り、ずっと歩いて行くと幾春別中学校だったと思います。閉山までの半年、わたしも通っていましたから、同窓会も合同で行ったりしています。

お亡くなりになった先生は、小学校の時の担任の山口裕先生です。先生のお家は幾春別の靴屋さんで、向かいには、ながやすデパート、隣はこけしやさんというラーメン屋がありました。
お葬式は月見坂の上がり口のお寺でした。

先生のこと、ご存知でしょうか?
同窓会には、ずっと来てくださっていました。
とても残念です。

厳密にいえば、本当に最後の卒業生は、私たちの一つ下の方達ですが、閉山後なので、ごくごく少ない人だったと聞きます。

投稿: iku | 2012年10月 9日 (火) 23時03分

ikuさんへ

山口先生ですか!?
今年7月に行った時、お店が閉まっていました。
去年の11月に行った時は、開いていたと思います。
今年の5月に行った時は、記憶にないのですが・・・

私は覚えがないのですが、このブログを見ている方たち、たくさんの方が山口先生ご存知ですよ。
きっとガッカリするでしょうね。
そうですか・・・

ながやすデパートやこけしやさんは、みなさんからコメントいただきました。
覚えている方、たくさんみえます。
幾春別の町も店じまいするお店が多く、行くたびに寂しく思います。
だいたい人が歩いてませんものね。
これからますます過疎化していくのでしょうか。

投稿: はな | 2012年10月10日 (水) 08時11分

こんばんは。
私も川沿町から幾中へ2年間通いましたが、この木のことは全く覚えてません。
橋を渡り右折し長い坂を上りまっすぐの道を行き幾中がありました。

ながやすは小さいけど百貨店だったような記憶があります。

奔小の時は松、竹、梅、桐、桜組の5クラスありました。
山口先生って聞いたこともあるような…思いだせません。

投稿: hokepie | 2012年10月10日 (水) 20時23分

hokepieさんへ

このハルニレの木は、私も全然知らなかったです。
毎回通っていたのにね。
確かに巨木ですが、注意して見たことはなかったです。

私はながやすデバートもこけしやさんも覚えていないのですが、デパートは鉄筋?木造?の何階建てだったのでしょう?
どなたか知っている方が見えましたら教えてください。

投稿: はな | 2012年10月11日 (木) 07時56分

 おはようございます。はなさんとこのブログを拝見している皆様へ
 時間差ですが、コメントさせて頂きます。
 ながやすデパートは、現在はもうありません。今は、中央バスの待合所になっているような建物が残っております。当時は木造二階建てで、一回の三分の一が食料品売り場、二回は、衣料品や装飾品を売っていたようです。弥生に支店がありました。私が幼少の頃は、大盛況でした。今のスーパーと変わらないイメージがあります。それと、こけし食堂は、今も残っていますよ。幾春別の市街地の角に閉店しておりますが、当時の姿をそのままで残しております。学生ラーメンがおいしくて有名でした。
 それと北海盆踊り発祥の地として、三笠市役所の真ん前の公園に巨大なやぐらが建てられておりますよ。一度、8月のお盆にこられたらよいと思います。

投稿: エム村上 | 2012年10月11日 (木) 08時30分

エム村上さんへ

こけしやさん、建物残っているのですか?
十字路の角が山口靴店ですよね。
その向かい側ですか?
空知信用金庫の向かい側ってことですか?
十字路の角がこけしやさんですか?
その隣がながやすデパート。
と言うことは本間病院方面にあったということですね。

木造二階建てですか。
覚えがないです。
弥生にもあった?
どのへんにあったか村上さん覚えていますか?
弥生のお店は父が入院しているとき、行ったような記憶が・・

投稿: はな | 2012年10月11日 (木) 17時35分

こんばんは。
幾春別談義で盛り上がりますね。わたしは、中学1年までの記憶ですが、その後同窓会があるたびに、ちょこっと訪れていましたから、懐かしい限りです。
閉山とともに、散り散りになってあっという間に仲間や町と別れてしまいましたから、懐かしさも倍増してしまいますね。

ながやすデパートは奔別に住んでいる人たちにとっては、「しがい」に行って買い物をするという楽しみでもありました。当時、幾春別のことは、「しがい」と行って区別していましたね。

なんでも売っている店という感じでした。

でも、大人になってその場所を訪れてみてあまりの小ささに驚きましたが(笑)

あと、幾春別には、「回春堂」という化粧品屋さんや、「かいや」という和菓子屋さんもよく母といっしょに行ったものです。

こけしやさんのラーメンは、10年程前に立ち寄って食べましたが、昔のラーメンの味がしておいしかったです。

投稿: iku | 2012年10月11日 (木) 18時15分

ikuさんへ

ホントに盛り上がっています。^^

『幾春別に行くのを「しがい」に行く』
と言っていたとhokepieさんも言ってましたね。
だいたい奔別には何でも売っているところなんてなかったから、幾春別は別天地だったんでしょうね。

またまた新しいお店が出てきましたね~!
私の知らないお店ですね~。
どのへんにあったか知りたいですね。

こけしやさんは10年前は営業していたのですか!?
残念!!行って見たかったです。

投稿: はな | 2012年10月11日 (木) 19時44分

こんばんは。
ラーメンを食べた記憶はあってもラーメン屋さんの名前は覚えてませんでした。
こけしやさんなんでしょうね。

幾春別のことはしがいと呼んでましたが、市街の意味なんですかね。

幾春別はお祭りの時、露店が出てました。

中央バスで幾中の近くまで行った記憶があります。

投稿: hokepie | 2012年10月11日 (木) 21時27分

hokepieさんへ

「こけしや」さんと言うそうですよ~。
結構みなさん食べに行ってるみたいですね。

幾春別は正に「市街」だったんでしょうね。
今の寂れた幾春別が悲しいです。
「奔別アートプロジェクト」と言うのを立抗跡地のホッパーのところで期間限定で開催しているらしいです。
いろいろなイベントして活性化してほしいです。

投稿: はな | 2012年10月12日 (金) 07時47分

幾春別には、たくさんお店がありましたよ。

飲み屋街やお寿司屋さんもあったし、おでんやさんなどもありました。

炭鉱で働いていた人たちがいて成り立っていたのですね。

回春堂さんは、幾春別駅のすぐ近くにありました。
今でもそのままの看板でやっていると思います。

かいやさんは、どの辺りだったか分かりません?

今でも三笠にあるようです。

幾春別はにぎやかでしたね

後になって中学校へ行くと幾春別の子どもたちといっしょになり、商店の子どもや他の仕事の子どもがいておもしろかったです。

それまでは、同じ会社の子どもばかりでしたから。

考えてみると、同じ会社で働いている子どもだけの小学校というのは特殊でした。

投稿: iku | 2012年10月12日 (金) 22時04分

ikuさんへ

駅前の「回春堂」さんですか・・・
今度行った時見てきます。

幾春別はホントに繁華街だったのですね。
きっと知っている方はこの文章見て、たいへん懐かしがると思います。
ありがとうございます。
それにしてもikuさん、よく覚えていますね~。

奔別は炭鉱で成り立っていたのだから、当たり前といえば当たり前ですね。
みんな従業員なんだから。
だから閉山後、波が引くように人がいなくなった。
だいたいあれだけの人がいたのに、一軒も残ってないなんて異様ですよ。

ikuさんは下川端に住んでいらしたようですが、どのあたりに見えたのですか?
このブログにコメントくださる方に下川端出身の方見えますよ。

投稿: はな | 2012年10月13日 (土) 07時41分

こんばんは。

大阪もすっかり秋の気配がしてきました。涼しくしのぎやすくなってきました。

北海道は、ずいぶん冷え込んでいるのでしょうね。

わたしは、小学校の低学年までは、ちょうど下川端のお風呂やさんの前に住んでいました。お隣に、後に歌手になった「倉橋ルイ子」さんがいて、よく遊んだものです。最近はお見かけしないですが、元気にされているのでしょうか?

その後は、バス通りをはさんで、反対側のブロックの家に引っ越しました。
ここは、ペチカがあって、先の家より少し上等でした。すぐ横は、旭町からの斜面で、雪がつもると、スキーをして遊んだものです。
どこでも、スキー場になりましたね。

楽しかったです。

hokepieさんがおっしゃっていた、幾春別のお祭りの露店は、炭山祭りのときの露店ではないでしょうか?

幾春別神社の前にたくさんの露店が出てにぎやかだった記憶があります。

投稿: iku | 2012年10月13日 (土) 20時00分

ikuさんへ

「倉橋ルイ子」さんは奔別出身ですか?
私は幾春別出身の方だと思っていました。

下川端のお風呂やさんがどこにあったのかよくわからないのですが、杉野美容院近くに以前コメントを下さった「石橋」さん。
旭町下には「奥山」さんが住んでいたようですよ。
今では木がボウボウ、旭町下は石炭置き場?になっていて地形が変わっていますね。

投稿: はな | 2012年10月13日 (土) 21時13分

そうですよ。

「倉橋ルイ子」さんは、川端町に住んでいました。

小さいころから、都はるみの歌とか歌ってとても上手でしたよ。

でも、歌手になったと聞いて驚きましたが。


はなさんは、あまり長い間奔別にいなかったようですが、何度も訪れているのは、何かやはり、ひかれるものがあるのですか?

投稿: iku | 2012年10月15日 (月) 18時09分

書き忘れましたが、「奥山さん」も「石橋さん」も残念ながら知りませんね。

同級生ではなさそうです。
杉野美容室ってどこにあったのでしょう?上川端にあった散髪屋さんは覚えているのですが。

投稿: iku | 2012年10月15日 (月) 18時14分

ikuさんへ

「倉橋」さんの名前を知ったのは、このブログを始めてからです。
てっきり幾春別出身の方と思っていました。

「杉野美容院」?「杉浦美容院」?は川端町から鳥居沢に向かう三叉路を右に行き、(映画館、病院方面)その途中の左にあったようです。
この地は「下川端町」ですよね?
上川端と下川端の区別がいまいちよくわかりません。

私は3年弱しかいなかったですね。
あまりお店に出歩くことはなかったです。
思い出に残る思い出と言うものもあまりないのですが、どうしてこう頻繁に行くのでしょうね~。
自分でもよくわかりません。

ただ、当時は冬の寒さなど愛知と比べ物にならないくらい厳しいところでしたが、暖かかったのです。
それは親の愛、ご近所の思いやり、友達の思いやり、見ず知らずの人の思いやり・・・そんな時代だったのです。
それがいっぺんになくなった奔別の地を見て、昔とのギャップがあまりにも大きすぎてショックだったのかな・・・
だから何かを探しに訪れているのだと思います。

訪れたことをブログに載せるでしょう?
そしたらそれを見た方が、「こうだった。」「ああだった。」と教えてくださるじゃないですか。
それで思い出すことかなりあるんです。
それを見にまた行く。
の繰り返しですね。
うまく言えませんが・・・

投稿: はな | 2012年10月15日 (月) 19時29分

はなさん、ikuさんへ
 二人の思い出に少し補足します。杉野美容院のこと。三叉路から病院にむかって左側にありました。正式には「杉原美容院」と言います。閉山後に、札幌市西区西野の転居されまして、現在は次男の方が店を継いで、薬局を兼ねているようです。
 それと年に一回、札幌で「三笠会」を開催しているようです。これは、思い出を辿る意味の会合と違いまして、札幌に在住する三笠出身者が集まる会合のようです。三笠に思う気持ちは、「はなブログ」に集う皆様と同じような気がします。
 私見ながら、三笠出身者の方々は、家族の皆で命がけで仕事をする大黒柱を支えてきた意味からか「おもいやり」が強い人が多いと思えます。はなさん、イクさんが三笠奔別に魅せられる気持ちはこんなことにつながっているのではないでしょうか。

投稿: エム村上 | 2012年10月16日 (火) 08時47分

エム村上さんへ

「杉原美容院」さんですか。
そういえば整子さんもそのように言ってましたね。
駄菓子屋さんの「おとうふやさん」が隣にあったそうですね。
駄菓子屋さんはその後、プール側に引っ越されたそうですか・・・
美容院もいっしょに引越ししたのでしたっけ?
すみません。曖昧で。

「三笠会」ですか。
札幌に住んでいたら絶対行ってますね。
東京でもしているそうですが、名古屋はどうなんでしょう。

すべてが無くなってしまったから想いが尽きないのかもしれませんね。
でも少しでも残っていたら、もっと感激かもしれませんけど。
でも行こうと思えば行けるところなので、その点恵まれているかもしれません。
知り合いに大夕張出身の方がいますが、「いずれダムに沈む故郷を思うと胸の底が締め付けられる。」と言ってました。
奔別と同じく、鹿島地区は今は何も残っていませんが、その地に立ったとき、いずれダムの底と思うとなんともいえない気持ちになりますね。
行けるうちに行っておきたいと思います。

投稿: はな | 2012年10月16日 (火) 09時25分

こんなブログ見つけました、ご存知かもしれませんが、多くの写真が印象的です。
http://pub.ne.jp/sorachi/?navi_id=7618
小中学校は勿論、「昭和10年頃の幾春別神社通り」というタイトルの写真では中央に写っている「CAFE」の文字看板の建物、素敵ですね、こんな建物が77年も前に幾春別にあったなんて驚きと感激です。
奔別の映画館も内部の写真まであります。50円でゴジラやガメラの映画を見に行ったのを思い出します。
「奔別」というキーワードで検索すると色々出てきますね、それだけ思い入れがあるんですね。

投稿: にゃん | 2012年10月16日 (火) 10時06分

にゃんさんへ

知ってますよ。

6枚目の大きな写真。
そうです。
昔は「奔別」ではなく「住友奔別」だったのですよ。
にゃんさんからも写真いただきましたが、これには感激でした。

私はこの方のブログとモダンアートミュージアムの写真見て、本沢にあった神社を見つけに今回行きました。
だいたいの場所はわかったのですが、木に覆われていて特定できず。
今度春先に行った時、確認してこようと思っています。
ちなみに住んでいた当時はこの神社には行ったことはありません。
映画館内部は確かにあんな感じでした。

この方のブログの「学校と神社」のカデゴリー見てください。
奔小も幾小も幾春別の街並みも写っていますね。
昭和48年の奔小の廃校式も載っています。

かなり前の写真が多いので、その時代の方は感無量だと思います。

投稿: はな | 2012年10月16日 (火) 11時15分

こんばんは。

本当にいろんな方から、いろんな情報が寄せられてブログを拝見するたびに、感激しています。

美容院のことは、どうしても思い出せません。

「おとうふやさん」はわたしの記憶では、すでにプール近くにあります。特にそこの息子さんとは、同級生で同窓会では、子どものころ、駄菓子を買いに行った話で盛り上がっています。
 途中、ラーメン屋さんもしていました。当時、わたしたちは、どうして「おとうふやさん」というのか、知らなかったのですが、彼のことをみんな、「おとうふやさんのノブチャン」と呼んでいました。


本沢の神社……中の沢辺りだったように思います。
わたしは遊んだ覚えがあります。階段を上ると境内があって、隅の方に防空豪の跡がまだ残っていました。
そこには、ガイコツがあるとみんなが言っていて、怖くて入れませんでした。

その頃から大きな木にかこまれていたと思います。
だから、見つけにくいのは、当然でしょうね。

投稿: iku | 2012年10月16日 (火) 18時26分

ikuさんへ

以前コメントを下さった「石橋」さんが、杉原美容院の隣に住んでいたと言ってました。
石橋さんの家は川端の三叉路を右に行って10mぐらいの左にあったそうです。
だから美容院もそのあたりにあったのかと思われます。
盆踊りをした広場まで行かず、もっと手前にあったようですよ。

本沢?中ノ沢?の神社は確かに道路から階段を上ったところにあったようです。
そこに石碑が建っていたようですが、今回確認できませんでした。
石段もわかりませんでした。
ただ、石段の廻りは笹が生い茂っていたので、今回行ったところはたぶん合っていると思います。
春先に行くと確認しやすいですね。
この神社から奔小が見渡せたようです。
是非行きたい!見つけたいです!

投稿: はな | 2012年10月16日 (火) 19時50分

お久しぶりです、はなさん
その木、何となく記憶にあります
ふるさとが変わっていくのが
寂しいです

いつか 嫁連れて行きますよ!
http://blogs.yahoo.co.jp/jdrgb536
忘れてるかもしれないんで
私のブログにコメント頂いた遍歴から
来ました。

投稿: 道人ろーどまん | 2012年11月 3日 (土) 03時00分

追伸
掲載写真を頂いても
よろしいでしょうか?

投稿: 道人ろーどまん | 2012年11月 3日 (土) 03時04分

道人ろーどまんさんへ

こんばんは。お久しぶりです。

覚えていますよ。
奔別小学校のその後の写真を公開してくれた方。

山の手から見た立抗は変わりませんね~。

是非見に行ってください。
まだなごりがあるうちに・・・

写真どうぞお使いください。

コメントありがとうございます。

投稿: はな | 2012年11月 3日 (土) 21時12分

ありがとうございます!

まだ早いかもしれませんが
先が(寿命)見えて来た様な~
今の人生です(^^;

今は、嫁と北海道旅行が
目標です!

わかればですが
夕張の鹿島町は、ダムに
沈んだのでしょうか?

投稿: 道人ろーどまん | 2012年11月 4日 (日) 00時09分

道人ろーどまんさんへ

おはようございます。

何をおっしゃいます。
まだまだですよ~。

北海道一周是非、奥様と実現してださい。

大夕張ダムは2013年完成だったと思います。
来年ですか・・・
その後はすべて湖の下ですね。

夕張、シューパロ湖~桂沢間の様子をブログで書いている方がみえます。
ご参考に・・・

http://nakashow.web.fc2.com/cars/jimdrive1/2011d4/drive111016.html

以前行った時は、なん~にもありませんでした。
私も水没までに是非行きたいです。

投稿: はな | 2012年11月 4日 (日) 10時06分

おはようございます。セキュリティがかかっていますね。楽しい、コメントを気楽に出したいものです。

投稿: エム村上 | 2012年11月 8日 (木) 10時20分

エム村上さんへ

こんばんは。

いつもブログを見てくださり、ありがとうございます。

上記の件、アドレスの方にメールしました。

今後ともよろしくお願いします。

投稿: はな | 2012年11月 8日 (木) 19時17分

はなさん、すっかりご無沙汰してしまいました。
久々にはなさんのブログを見て、私も仲間に入りたいのだけれど何から話していいやら~

ちょうど一年前仕事で札幌に行きましたが、奔別までは行かれませんでした。
三月にはまたまた仕事で士幌町(帯広の近く)に車で行きましたが奔別は遠く、おまけに峠は吹雪でした。

ラーメン屋さんの話が出てましたが、うちの家族で度々行っていたのは「いろは食堂」でした。
通りからちょっと入ったところだったと記憶してます。
当時はラーメンを食べに行く事が唯一の贅沢だったのでしょうね。
10年位前に行った時は駅前にお店がありましたが、その2年後にはなくなっていたような気がします。

「ながやす」は、砂糖の特売の時兄と並んで買ったのを覚えてます。当時もお一人様一個限りだったんですね(笑)

ikuさんは、私とかなり年が近いような?
おとうふ屋さんの子かどうかはわからないけど、同級生のお母さんがいつもお店にいました。
私は、六年生の11月に奔別を離れましたから45年の3月にみんなと一緒に卒業するはずでした。
ikuさんが知ってる方なら嬉しいなあ~

山口先生もリアルに覚えてます。
アコーディオンを弾いていたんじゃなかったかしら?
保健室の先生が確か草間先生で、下川端に住んでらっしゃいました。

85才の父は色んな事を鮮明に覚えていて話して聞かせてくれます。
でも、隣に床屋さんがあった事は覚えてないって!
来年は、両親と兄妹と奔別に行く約束をしました。
最近、動画で奔別を見せたら「わざわざ行かなくてもいいかあ~」なんて言ってましたけど(笑)

はなさんのブログのおかげで奔別が更に色濃くなったみたいです。


(自宅のパソコンが寿命がきたみたいなので会社のパソコンでコメントしてます。)

投稿: まんみ | 2012年11月15日 (木) 15時44分

まんみさんへ

わぁ~!まんみさん、元気でした?
お久しぶりです!

「いろは食堂」どのへんですか?
10年前にはあったということは、まだ建物残っているかもしれませんね。
見たいですね。

ikuさんは下川端にいらしたようで、まんみさんより1歳下の方と思いますが・・・
ikuさん、心当たりありますか?

まんみさんのお父さんの話、聞いてみたいですね。
今の奔別見てどう思うでしょうね。
長い年月がたってしまいましたね。

>(自宅のパソコンが寿命がきたみたいなので会社のパソコンでコメントしてます。)

パソコンが不調ということですが、まんみさん、
連絡とりたいのですが、前に教えてくれたアドレスで連絡とれますか?
代わりのアドレス教えてください。

投稿: はな | 2012年11月15日 (木) 16時40分

はなさん、まんみさんへ
まんみさん……ごめんなさい。それだけでは、思い出せません。
でも、床屋さんのお隣なら、近くまで遊びに行ってるのですが。2年生までなかよしの男の子がいましたから。残念ながら、転校しましたが。
山口先生はアコーディオンをいつも弾いてくれていました。とてもお上手で、ボタンのいっぱいついてるアコーディオンに憧れていました。

草間先生は私の家のお隣でした。幾春別小学校に転勤されましたが、お隣のおばさんとしてずっとお付き合いさせていただいています。今でも札幌にお元気でお住まいですよ。

投稿: iku | 2012年11月16日 (金) 19時03分

ikuさんへ

山口先生がアコーディオン、お上手だったのは
みなさん知って見えるようですよ。
私も以前に聞いたことあります。

草間先生は現在、札幌にみえるのですか!?
このブログを見てくださる方々、草間先生が
担任だった方がたくさん見えるので、きっと
この情報は喜ばれると思います!!

投稿: はな | 2012年11月16日 (金) 20時28分

はなさん!

メール無事届いてるでしょうか?
受信は出来てるみたいです。

いろは食堂は幾春別神社側でした。
川沿の同級生のお母さんが働いていました。

うちの家族はラーメンはいつもそこでしたよ。

私の妹は幾春別の葛西病院で産まれました。
私も通ったことがありますが、
斎藤病院の先生が往診に来て下さってました。
斎藤病院 まだありますよね?

月見坂を降りてしばらく行くと楽器屋さんがありました。
ウインドウに飾ってあった大正琴がなぜか欲しかった!

その近くにホルモンのお店がありました。
「ホルモンてなんだろう?」て通る度に思ってたなぁ~
炭鉱で働く人がよく通うお店だったそうです。

ikuさん!

私より一つ下のようですね?
うちのお隣も、裏にも一つ下の女の子がいましたよ。
みんなどうしているんでしょうね~

投稿: まんみ | 2012年11月16日 (金) 22時58分

草間先生とは、家族ぐるみで親しくさせてもらっていました。母がなかよくしていましたので、奔別にいるときから可愛がってくれていました。

10年程前に同窓会で札幌に行ったときに家にお邪魔しました。お元気でしたよ。なつかしいですね。

投稿: iku | 2012年11月16日 (金) 23時28分

まんみさんへ

アドレスの方にメール送りました。

幾春別の葛西病院ってどこにあったのですか?
ひょっとしてこの「ハルニレ」の木の近くですか?
以前の道路の桂沢に行く分岐点のところにあった病院。
違うかな・・・

斉藤病院は郵便局の近くの病院ですよね。
今は営業しているのかな・・・
建物はわかります。

月見坂の楽器屋さん、なんとなく覚えあります。
大正琴があったことは覚えていませんが・・・

回春堂さんは3年前に行った時はやってましたが、2年前に行った時は閉まってました。(たまたま閉まってたのかも)
でも去年行った時は閉まってました。
3年前にバスで行った時たまたまお店に入って、一人で歩いてどこまで行けるか聞きました。

投稿: はな | 2012年11月17日 (土) 08時01分

ikuさんへ

私は草間先生覚えてないのですが、
このブログを見てくださる
草間先生を知ってるみなさん、
よかったですね~!

情報ありがとうございます!

投稿: はな | 2012年11月17日 (土) 08時05分

わたしの学年は、35歳の時から、5年毎に同窓会を開いています。
だから、来年、開催予定です。
みんな閉山で散り散りバラバラになって友達の居どころなんて知ることもできなかったのに、発起人となってくれた人たちが、時間をかけて調べてくれ、その歳から開く事ができるようになったのです。

インターネットの時代ではなかったので、手紙や電話のやりとりで地道に捜してくれました。

三笠会にもでたようです。
大部分の同級生の居どころをつかんでいます。

まんみさん。

多分お隣にいた方もわかると思いますよ。

もしかして、けい子ちゃんじゃないでしょうか?

投稿: iku | 2012年11月17日 (土) 18時01分

ikuさんへ

返事が遅くなりすみません。

なかなかみなさんの居所はわからないです。
そうやって同窓会ができるのは幸せですね。
少しでも多くの人と会えるといいですね。

投稿: はな | 2012年11月18日 (日) 09時33分

昭和58年ごろ、奔別本沢町の奥に奔別小学校(若しくは幾春別小学校)の分校があったのはご存知でしょうか。

投稿: | 2013年5月31日 (金) 23時45分

匿名さんへ

奔別本沢に分校があったという話は聞いていますが、どこにあるのかは知りません。

昭和58年頃ですか?
昭和48年に奔別小学校自体が廃校しているので、分校はその前に無くなっているのではないでしょうか?

分校にどのくらいの生徒がいたのかもわからないのですが、今はきっと原生林の中でしょうね。

桂沢にも小学校の分校があったように聞いています。
いずれにしても、当時はそれだけの人口があったということですね。

コメントありがとうございます。

投稿: はな | 2013年6月 1日 (土) 19時49分

http://knaruse.blog94.fc2.com/blog-entry-47.htm
奔別小学校の分校について触れていますが。何かのお役に立てれば、しかし、年代が違い過ぎますね。それとも、新町の旧旧幾春別小学校のかなー。

投稿: ししちゃん | 2013年6月 3日 (月) 09時55分

ししさんへ

私もこの方のブログ見ました。
「裂けたハルニレの木」が目印なんだそうですね。
でも拝見したところ、まさに川沿、川端より原生林でした。
とても小学校があったなんてわかりませんよね~。

私どこかで、奔別小学校分校の写真見たのですが、思い出せないのですよ。
どこだったかなぁ・・・
たしか平屋の四角い建物だったと思うのです。

本沢のどの辺りにあったのでしょう?
どなたか知っている方が見えましたら、教えてください。

投稿: はな | 2013年6月 3日 (月) 14時11分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1091718/47317084

この記事へのトラックバック一覧です: 幾春別のハルニレの木:

« 秋の夜長に一曲 | トップページ | 自然がいっぱい! »