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2011年11月20日 (日)

三笠高校から唐松辺りを歩く

 13日の日曜日から3日間札幌に行ってきました。

 北海道に行ったら必ず行く奔別。天気予報では3日間、雨降りと雪マークです。

 奔別に行くなら車で行かないと思うところが見れない。。。と散々迷い、結局初日の13日に千歳でレンタカーを借りました。そのまま三笠に直行です。

 こんな時期、レンタカーを借りる人なんていないのでしょうか。飛行場から移動のバスには私一人だけ、飛行機が10分早く着いたせいもあるだろうけど、予約していた10時より前の9時40分にはもう車に乗っていました。おかげで奔別には11時半前に着けました。

 降水率60%ということでしたが、曇り空のうっすら日差しが見える日でした。

 三笠インターを降りたら日曜日なのに車の通りはあまりありません。

 今回行きたかったところが数ヶ所あるのですが、まずこちら。

Mikasa_high_school  三笠高校です。

 67年の歴史を閉じて来春の3月に閉校です。その後は市立三笠高校になり食物調理科の職業校になるようです。

Mikasa_high_school2

 私はこの高校を卒業したわけではないのですが、同級生が甲子園にあこがれて野球部に入っていました。(それ以前にこの高校は甲子園に行ったことがあるのです)閉校は非常に残念です。

Mikasa  高校前にある三笠ドームです。

 高校前は運動公園になっていて、市営の野球場も近くにあります。

 環境はバツグンのところなのにね。。。

Mikasa_chuou_junior_high_school Mikasa_chuou_junior_high_school2

 こちらは清住町あたりにある旧三笠中央中学校。今は開校していません。

 私は幾春別の中学生はここに通っているのだとばかり思っていたのですが、違うのですね。。。市役所の西にある三笠中学校まで通わなくちゃいけないのですね・・・中学生でバス通い、たいへんです。

Mikasa2  中央中学校前から奔別方向をみた写真です。

 人が全然いないのです。なんかホントに寂れている。

 寂しい限りです。

 三笠の中心でこんな感じなのだから、幾春別なんかもっと過疎化しているのは当たり前か。。。

P1020463 P1020464

 この道は清住から唐松に続く道です。この道も行きたかったところです。

 今では清住側を迂回する116号線が走っているので芦別に抜けるときはこの道は通らないでしょうね。でもバスはこの道を通ってます。

 私はこの道には思い出があります。

 何年生の頃だったか忘れましたが、父が弥生の病院に入院して学校帰り病院に行こうと本間病院辺りからバスに乗りました。が、弥生を通り過ぎてバスを降りました。(たぶん弥生の次の停留所)見慣れない景色に不安がつのり、ひたすら三笠に向かって歩いたのです。この橋の辺りでは暗くなり、吹雪にあって前が見えないくらいでした。やっと三笠高校あたりまで来て自分が反対方向に歩いてきたことを知りました。奔別行きのバスに乗りましたが、お金が足りなくて車掌さんに事情を話したら「いいよ。」と言って弥生で降ろしてくれました。父と母はとても心配してました。当時は奔別から一人で出ることはなかったので、この辺りのことは全然知らなかったのです。

 この橋は当時の橋ではないでしょうが、この直線道路は泣きながら歩いていたと思います。当時はこの距離を非常に長く感じました。

P1020466  こちらは唐松駅です。去年来た時と変わりません。

P1020467 P1020468

 左の写真が三笠方面、右の写真が幾春別方面です。

 この先、幾春別方面に向かいます。

 

 

 

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北海道三笠市奔別・幾春別」カテゴリの記事

コメント

小さな花さんを抱きしめてあげたいね。”父母はとても心配していました”の下りでホットしました。

投稿: くらんぽん | 2011年11月20日 (日) 21時42分

ちょうど寒くなり始めた頃に、こちらにこられていたのですね。
新桂沢ダムの方向性がはっきりしなくなり、交通量が減った感があります。
現在札幌は深々と雪が降っているので、あのあたりも結構降っているのではないでしょうか。。。
そういう意味では、ナイスな日程かとも思えますね。

投稿: | 2011年11月20日 (日) 22時52分

私が道立三笠高校に通ったのは、昭和30年4月から33年3月までです。校舎は改築されましたが、丸屋根の体育館は残っている様子が見て取れます。唐松駅か?まるで骸骨を観るようですね。当時はほとんど汽車通学ですから、始発の幾春別から乗車の私は、各駅で乗車して来る「可愛い子」を目で追いかけていました?唐松にも本屋さんの子が可愛かったなー。弥生駅は坂の下で幾中に曲がる付近で三笠警察署も近かったよ!

投稿: ししちゃん | 2011年11月21日 (月) 10時39分

くらんぽんさんへ

そうなんです。
親は非常に心配してました。
辺りは真っ暗、吹雪ですもの。
今みたいに携帯なんてなかった時代だし、病院の電話番号知らないし・・・
何より電話代使ったら、無一文ですものね。
バスの車掌さん、若い女の人だったけどとてもやさしくしてくれました。
たぶん10円ぐらい足りなかったように思います。

投稿: はな | 2011年11月21日 (月) 12時08分

ぬさんへ。

そうなんですよ。
いままですごくいい天気だったのに、13日から下り坂で14日以降は雪じゃないですか。
「なんなの、これ?」と思いましたよ。
奔別だけは行きたかったので、雨が降っても・・と思い13日に直行しました。
16日から札幌でも雪が降ったようで、ぎりぎりセーフですね。

市内よく歩きましたよ。
また札幌関係もアップします。

投稿: はな | 2011年11月21日 (月) 12時13分

ししさんへ

記憶は定かではないのですが、唐松は炭住が並んで、石炭を送る橋のようなものが道路の上を通っていたよな・・・そんな気がするんですがどうでしょう?
何しろ、灰色と白のイメージしかありません。

投稿: はな | 2011年11月21日 (月) 12時28分

おはようございます。
岩見沢の大雪のニュースが流れていたので、心配してましたがブログ見て安心しました。

三笠という名前だけでこみあげるものがありますよね。
行った記憶はほとんどないんだけどね…。

バスを乗りすぎて吹雪の中逆のほうに歩いて行ったなんて…不安で辛く淋しかったろうね。
でも無事で良かった(はなさんは強いね)

あとでメールします。

投稿: hokepie | 2011年11月22日 (火) 06時09分

hokepieさん こんばんは。

そうなんですよ。
三笠に行ける日は初日しかなかったのです。
雪が降ったらoutなので・・・
ぎりぎりセーフでした。

当時歩きながら「おかしいな。おかしいな。」とは思いましたが、まさか反対方向に歩いて行ったなんて自分でも思ってませんものね。
今じゃ携帯なんかあってすぐ連絡とれますが、当時は何にもなかったもの。
不安でした。

投稿: はな | 2011年11月22日 (火) 19時24分

私は子供の頃、はなさんの近くの唐松に住んで居りました、最近はなさんの投稿がないのでさびしくおもっております。三笠高校から弥生まで吹雪の中、唐松を通った
であろうの体験談には胸が締めつけられる思いがしました。
その後のはなさんの行く末が気になっています
また、郷土のはなしを聞かせてください。

投稿: 唐松の子 | 2016年6月13日 (月) 14時21分

唐松の子さん 初めまして。

どこのバス停で降りたのか、どう歩いて行ったのかよく覚えていないのですが、この橋の上を通ったときは暗くて吹雪でした。
それだけはしっかり覚えています。
唐松の子さんはその時、あの灯りのどこかに見えたのですね。

当時は奔別から外にほとんど出たことはなく、まして唐松や弥生町は行ったことがありませんでした。
本間病院から弥生町はバス停で2つぐらいですよね。
でも当時の私にしたら、弥生町は奔別からホントに遠くに感じたのです。
三笠高校あたりから乗ったバスは混んでて、若い女の車掌さんだったのですが、とても優しくしてくれて弥生で下してくれました。

唐松から清住にかかる橋は「清松橋」と言うそうですね。
一度歩いて渡ってみたいです。

長らくブログを休んでいたのに、こうして見てくださる方が見えるのはとてもありがたく思ってます。
奔別ファンがたくさん見えるのはうれしいです。
また近々、ブログを再開しますね。

コメントありがとうございました。

投稿: はな | 2016年6月14日 (火) 19時18分

わずか3年間、はなさんに強烈な印象を残した奔別・幾春別。 私もそうですが、小学5・6年生(10才~12才)の頃は 感受性が強く、当時の出来事(思い出)が鮮明に残ります、 はなさんが本間病院を通り過ぎ、三笠高校付近まで歩いた記憶は 私の当時の年代にもリンクします。 コメントいただきありがとう『唐松の子』です。 弥生町から国鉄(現JR)の踏切を超えて坂を上りきった所が 春光台(現春光町)、そこから真っすぐ西に坂を下って行くと 左頭上に巨大な薄グリーン色の滑り台状の円柱が斜めに 横たわっています。はなさんが不安を抱えながら記憶の中で視た 『それ』ですが、多分炭鉱の施設か、民間企業に払い下げられた 選炭場施設ではなかろうかと思われます、今は跡形も無く踏切に 有ったJR鉄道線路さえもありません、只残るのは唐松駅だけです。 冒頭にもありますが、わずか3年間で、はなさんを遠く離れた 北海道、奔別・幾春別に足を運び、ブログを立ち上げ郷土の情報 を発信するエネルギーはいったいどこからくるのでしょうか? たぶん地元に住んだことが有る人々にしかわからない、はなさんが 子供ながらに歩いた、あの距離と状況を想像するに、本当に あり得ない体験を、はなさんはされたのだと思います。
少し前になりますが、函館の近く七飯町で小学生が保護された 事件があったばかりですね。 そういう私も子供の頃は結構危険な遊びや体験をしています 当時は、別段そんなに危険とも思いませんでした。 もう何年もの間『唐松の子』は唐松には帰っていません 機会があれば郷土、三笠市の街々を探訪したいです。

投稿: 唐松の子 | 2016年7月10日 (日) 15時41分

唐松の子さん こんばんは。

<弥生町から国鉄(現JR)の踏切を超えて坂を上りきった所が 春光台(現春光町)、そこから真っすぐ西に坂を下って行くと 左頭上に巨大な薄グリーン色の滑り台状の円柱が斜めに 横たわっています。

やっぱり何か架かっていたのですね。
この道の上を架動橋のようなものが架かっていたような記憶があります。
それが何色だったか、石炭を運ぶコンベアだったのか、人が通る橋だったのか覚えがないのですが、道の上を横切っていました。
それをいつ見たのか、三笠まで歩いて行ったとき見たのか、汽車の中からまた、バスの中から見たのかそれも覚えてないのですが、私の記憶では、唐松町=架動橋です。(笑)

唐松町は全然縁がなかったので、どこに何があったのかも知らないのですが、今も残っている唐松駅に昔の写真が何枚か飾られています。

唐松町も幾春別や弥生町と同じ、行く度に寂しくなっていきますね。
機会があったら是非訪れてみて下さい。

投稿: はな | 2016年7月12日 (火) 19時03分

中学校の頃、幾春別から転校してきた子が二人、時期は別々に我がクラスに入って来ました、一人は「唐松の子」同様、すぐ近くの炭鉱住宅に住みはじめましたが
その当時はほとんど印象もなく、ただ々頭の良いやつだった、と記憶しています。
そしてもうひとりの方、これが幾春別から中央バスに乗り、中学生でありながらバス通学をするようなやつでしたが、しかし、これがなんというか「うまがあう」というのか、中学の頃の親友になりました。
なぜ学校がこの様な通学を許可したのかは、さだかでは有りませんが、この友の影響により色々な経験をさせて、させられて・・・いただきました。
それにより、学業の成績は降下の一途を辿ったのはいうまでも ありません。
中学校の帰り、「唐松駅」のバス停から「唐松の子」の家とは反対方向の、「やつ」の家へ、売店で(唐松駅には売店があった)買ったおやつを抱え、バスに乗り込み何度か、つうがく をさせて戴きました。
前置きが長くなりましたが、当時「やつ」の家が幾春別川の畔にあり、街並の終わりの様に思っていました、そこから先は桂沢ダムへの道しか無いと記憶していましたが、はなさんのブログで奔別には、色々な地区があり、夏には盆踊りも盛んに行われていた、との事でその痕跡をたしかめたくグーグルで、タイムトラベルしてみました。
確かに今は木々も生い茂り、かつての繁栄こそ想像出来ませんが、所々街並があったかのような地形がよみとれます、盆踊り会場も多分トラックが何台も作業しているあたりかな?
不思議な事にタイムトラベルしていると、昔の事が次々と・・・走馬灯のような感覚です。
因に、もうひとりのほとんど印象のない、頭の良い転校生は、後に幼なじみとして、高校は別々でしが、同じ美唄地区に通学し現在も連絡を取り親交を交わせています
なにやら近況報告の様になってしまいました
生まれてから今まで一度もクラス会や同窓会というものの経験の無い「唐松の子」のつぶやきでした。

投稿: 唐松の子 | 2016年7月17日 (日) 19時31分

唐松の子さんへ

「唐松の子」さんは弥生中学校に通っていたのですか?
弥生中学自体も私は知らないのですが、跡地はまだ残っているようですね。

幾春別から通っていた同級生は滝見町(現在の幾春別郵便局)あたりの方でしょうか?
ここから唐松まで通うとなると、やっぱりバスじゃないと無理でしょう・・・
自転車で行くのは大変ですよ。

そうです。
盆踊りをしたのはトラックがたくさんいるところ、白いシートがかかっているところです。
こうして見るとそう広くないのですが、子供の頃はそこだけが明るくかなり広く感じました。

同級生の幼なじみがいるというのはいいですね。
私は小中学生の頃は結構転校しているので、幼なじみはいません。
うらやましいです。

アドレスの方にメールを送りました。
コメントありがとうございました。

投稿: はな | 2016年7月18日 (月) 09時46分

はなさんが五年程前奔別に行かれた際、三笠中央中学校の 紹介をされていました、が・・その時既に清住町の中学校 は廃校になっていたと思います。 それより以前、三笠中央中学校は別の所に有りました。 地名は「光明ケ丘」と言われる所ですが、住所ではなかった ような気がします、いわゆる通称名称、場所は弥生中学校 から西方向、距離にして四・五百メートルの近い丘の上に 有りました、これが「唐松の子」の母校になります。 当時、三笠中央中学校はマンモス校で、生徒数が飽和状態 になり姉妹校として、弥生中学校が発足したのだと思います。 はなさんが居られた奔別町もご多分にもれず、諸先輩達は 東洋一のマンモス校、奔別小学校から奔別中学校へと通わ れていたのでしょう。
幾春別からバス通学の「やつ」の家は残念ながらあまり おぼえていません、幾春別川が背後に流れていた記憶は 有りますが、たぶん家には呼びたくなかったのでしょう。 深緑の山々に忽然と奔別竪坑が白くニョキッと遠くに・・ 視えた記憶がありますが、どこから見たのか定かではあり ません。

投稿: 唐松の子 | 2016年7月19日 (火) 19時07分

唐松の子さんへ

清松橋の東側に一際大きな学校があったようですね。
これが「三笠中央中学校」でしょうか・・・
弥生中学校は東清住町側(清藤橋側)にあったようなのでまず間違いないようですね。

奔別小学校を卒業したら幾春別中学校に行ってました。
奔別には中学校はありませんでした。
私は小学校時代に転校したので、中学のことは知りません。
でも場所は、現在の幾春別栗丘町「あすか梅の杜」と言う会社があるところです。
奔別小学校は東洋一と言われたようですね。
今ではな~んにもなく、草木が生い茂っています。
寂しい限りです。

投稿: はな | 2016年7月20日 (水) 18時42分

子供の頃、弥生の藤枝町で「唐松の子」の親戚が駄菓子屋をしていました、 記憶を辿れば、すぐ近くに橋が架かっていました、当時の弥生中学校の 近くにも橋が架かっていたようですが、どちらが「清藤橋」かはわかりません。 でも、確かに弥生中学校は橋の側にあったことは間違いなさそうです。
奔別中学校はなかったのですね、勝手な解釈をしてしまいました、申し訳 ありません。
奔別小学校から幾春別中学校なのですね。 且つて「唐松の子」が中学二年生の時、わがクラスに転校してきた、 幼なじみは、その幾春別中学校からです、今でも親交があり、多分はなさんが 奔別小学校から幾春別中学校に行っていれば、少し前の先輩になると思います、 実に優秀なやつなんですよ。現在は神奈川県、新○○○で幸せに家庭菜園など で、余生を送っていると思われます・・・

メール確かにいただきました
ありがとうございました

投稿: 唐松の子 | 2016年7月21日 (木) 19時28分

唐松の子さんへ

奔別から幾春別中学校へみなさん、どのようにして行っていたのか私は知りません。
自転車通学だったのか、パス通学だったのか、案外歩いて行っていたのかもしれませんね。
中学校跡地は面影は全然残っていません。
奔別・幾春別合同の中学校にしては敷地が狭いなと思いました。
三笠中央中学校は割と新しい学校だと思っていたのですが、歴史があるのですね。

幌内にある「ミカサ・モダンアートミュージアム」に三笠の学校関係の改革が載っています。
訪れた際には是非ご覧ください。

投稿: はな | 2016年7月24日 (日) 13時26分

はなさんへ
幾春別中学校は随分、弥生地区に近い所にあったのですね。 今は、「あすか梅の杜」と言う民間会社がありますけれど、 当時の生徒さん達はどのように通学していたのでしょう? 地図を見る限り、奔別・幾春別からは結構距離がありますよ。

幌内には「ミカサ・モダンアートミュージアム」があります、 中を見学したことは無いのですが、「唐松の子」はここでも 思いでがあります・・・おもいでばかりでゴメンだよ!

そもそも、元は学校でモダンアートミュージアムになる前は 幌内中学校でした、それ以前は幌内小学校、同じ建物で次々 と遍歴を繰り返しています。
「唐松の子」が中学生の頃、同い年(同学年)の従弟がこの 中学校のすぐそばに住んで居たものですから、冬は建物の 裏山でスキー(クロスカントリーみたいな)をしたり、 夏は且つての校門の横あたりにプールがあり、従弟の家から 海パンいっちょで終日水に浸かって、グッタリとふやけていた 夏休みの思い出があります、 古き良き時代でした。
グーグルマップを拡大していくとプールがあった痕跡が、 辛うじてまだ残っていますが、従弟の家は鬱蒼としたジャン グルの中にうもれてしまっています。

もしまた、故郷三笠市を探訪するときには「ミカサ・モダン アートミュージアム」を含め、いろんな場所を訪れ、過去の 記憶の再認識をしたいと念います・・・

またメールします 「唐松の子(さかえ)」より

投稿: 唐松の子 | 2016年7月24日 (日) 18時25分

はなさん!今晩はーー、逢えて良かった。やっと巡り合えたねーー。如何していたか心配してました。良かった安心したよ。幾春別国民学校へ昭和20年4月に入学して8月終戦を経験して、幾春別大火で昭和22年に東洋1の国民学校が焼けて、奔別小は住友系の子が通い、幾春別小は北炭系の子が通いました。背中合わせで二校が並んで建っている珍しい風景でした。如何に消失前の学校が巨大だったかの現す風景でした。私は最近大阪の少路駅付近に転居して終の棲家にしました。娘に近くに来ました。名古屋近いね〜

投稿: ししちゃん | 2016年7月27日 (水) 19時40分

唐松の子さんへ

返事が遅くなりすみません。

奔別から幾春別中学校へはどのように通っていたのかわかりません。
でも奔別からだとかなり距離はあると思います。

そうですね。
「ミカサ・モダン アートミュージアム」は幌内中学校だったようですね。
三笠には廃校がたくさんありますね。
再活用されている所ならともかく、廃校になって残っているのは寂しいものです。
ましてや、跡形もなくなって原生林になっているのは空しいです。

投稿: はな | 2016年7月28日 (木) 19時11分

ししさんへ

ししさ~ん!!お久しぶりで~す!
お元気でしたか?
すみませ~ん!sweat01
長いお休みをもらっています。coldsweats01

そうですね。
奔別は「住友奔別」でした。
幾春別は北炭ですか?
そうです。
奔小と幾小は同じような校舎が(向きは違うけど)並んで建っていました。

ししさん、大阪ですか?
どうです?
大阪は暑いでしょう?
「いくさん」や「MO」さんも近くに住んでますよ。
名古屋も近いですね。
大阪の少路駅とは豊中市ですか?
娘さんの近くは一番いいと思います。
「ようこそ!内地へ」ですね!

投稿: はな | 2016年7月28日 (木) 20時14分

大阪府豊中市です。内地と外地とは、差別用語ですよねーー。北海道人は嫌う言葉ですよね〜。アイヌの街!網走刑務所!内地から逃げて来た余され者!災害の被害者が新天地を求めた先!今じゃー日本の食料基地!美味しい物が一杯とか?少子高齢化社会で、地方は疲弊してます。逃げて来ましたヨ。暑いけど皆んな平気な顔して歩いてるから我慢して真似してますわー。はなさん逢えて良かったよーー

投稿: ししさん | 2016年7月29日 (金) 06時28分

はなさんへ
はなさんの立ち上げたブログに、且つて奔別・幾春別・弥生 ・唐松・清住・幌内・そして三笠に所縁のある方々から、 全国津々浦々より便りが届いていますね、 皆さん故郷の思い出がそれぞれにあるのでしょう・・・ これは、はなさんのブログが故郷で暮らした事のある人々の 橋渡しになっていると言う事です、本当にありがたいと思います。 私もこうして参加させていただき、いろいろな方々の便りを 興味深く拝見させていただいております、人生の大先輩のお話は さすがに重厚感のある内容ですね、できれば膝を付き合わせて、 「あの時はどうだった、この場所はこうだった」とお話がしたいです。
いままで一度も同窓会、クラス会などの経験がなく「唐松の子」 と歴史を共にして来た同輩、あるいは友人・知人はどうして いるのでしょう?
自分が住んでいた地域の特殊性の所為ではなく、このように 故郷の同窓会ができる時代に成っています、これからもこの場を かりて私なりに発信して行きたいと想います。 「唐松の子(さかえ)」

投稿: 唐松の子 | 2016年7月29日 (金) 19時16分

ししさんへ

>北海道人は嫌う言葉ですよね〜。

そうなんですか・・・すみません。
「内地」は北海道の方言だと思っていました。
北海道の人から見て、本州を「内地」と言うのだと思ってました。

北見と大阪では温度差がかなりあるでしょう。
私の親戚は釧路にいましたが、一時名古屋近辺に住んでました。
「暑いし、ゴキブリはいるし、名古屋は住むところじゃない!」
と言ってました。
夏冬10℃近く差があると思います。
熱中症気を付けてください。

投稿: はな | 2016年7月29日 (金) 21時04分

唐松の子さんへ

ここには色々な県の方からコメントいただいています。
ブログを見て昔を懐かしんでいただければ光栄だと思っています。
私も奔別の同窓会には出席したことはありません。
行っているのかどうかもわかりません。
でも奔別小学校閉校の頃の方たちは、同窓会をされているようですよ。
札幌には「三笠会」と言う会があって、年に1回同窓会をされているようです。

投稿: はな | 2016年7月29日 (金) 21時12分

大阪の人は、気さくで親切でお喋り好きで、本音で生きてるから好きだよ。移転に伴って手続きの為役所を廻り歩きました。北見から来たのが珍客と思えたか、聞いてない事まで優しく親切だねー。内地から眺めると北の果ての荒野に住んでたとツクヅク感じます。今年は連日の雨に泣かされて流みたいです。暑いけど熱いくらいだけども何か安心感で来て良かったです。宜しくネーーん。

投稿: ししちゃん | 2016年7月30日 (土) 06時11分

はなさんへ
ゴキブリの話で思い出しました。 唐松の子も、生まれて初めて 未知との遭遇をしたのが18才の時です。 三畳一間に半畳ぐらいの台所辺りから、 真っすぐに向かって来る ゲンゴロウ?風の・・・早送り物体!
心臓がドキッとしました。
ゴキブリとは知らないものですから なんとか捕まえようとしましたが・・・ これが! 飛んだんです!

ゲンゴロウは飛ばない、これは何?

昔見た映画「モスラ」を彷佛とさせる
唐松の子、大都会で最初の夏の出来事です。

北海道には「札幌三笠会」があると 教えていただきました、ありがとうございます。 唐松の子が未知との遭遇をした大都会にも 「東京三笠会」があります、 毎年9月か10月頃、市ヶ谷で東京及び東京近郊 あるいは他府県にお住まいの、郷土三笠市に 所縁のある方々の同窓会が催されているそうです。
残念ながら唐松の子、人見知りが極度に強い 性格ですので、ひとりでの参加は困難かも・・・ 一緒に行ってくださる方、いませんか~
            「唐松の子(さかえ)」

投稿: 唐松の子 | 2016年7月30日 (土) 16時27分

ししさんへ

娘さんの近くは何よりです。
娘さんも安心されたと思います。
近くにたくさんいいところがありますね。
京都も近いですので、気候が良くなったらお出かけください。

もう1つのコメントですが、個人情報が入っていますので公開は控えました。
申し訳ありません。

投稿: はな | 2016年7月31日 (日) 11時12分

唐松の子さんへ

北海道にはゴキブリはいませんよね。
(でも札幌あたりにはいるといとこが言ってました)
南に行くにしたがってゴキブリが大きくなります。
このあたりでもゲンゴロウぐらいですから、沖縄に行ったらカブトムシぐらいかも・・・(大げさすぎたかな・・・coldsweats01

「唐松の子」さんはどちらにお住まいなのでしょう?
東京にも「三笠会」があるということは名古屋にもあるのかな・・・

投稿: はな | 2016年7月31日 (日) 11時23分

はなさんへ
残念ながら、「三笠会」は札幌と東京だけと聞いております、 名古屋にも出来ると良いですね。
でも、こうしてはなさんが作ってくれたブログのおかげで、 何処に居ようと距離に関係なくお話ができるのは、時代の流れってすごいなア~とつくずく思うのです、
例えばはなさんが何故「織田信長」が好きなのかを伺う事も 可能なのですね。
唐松の子は、信長を「好きか嫌いか」と聞かれれば、
嫌いな方かもしれません、女性は一般的に「織田信長」を好む傾向らしいですが、はなさんはどんな理由なのでしょう?
因に唐松の子は、「明智光秀」に共感を抱いています、 たまたま両者の関係はご存知のとおりですが、・・・
なぜ光秀か!
それは、彼の境遇に惹かれる所が多々あります、彼は
自分の立ち位置を常に考えていたのではないでしょか、どう見ても 天下を取ろうとしたのでは無く、あくまでも参謀役として主人に仕えて居たかった、でもその立場が維持出来なくなって しまい、結果的に本能寺で決起、
天下が転がり込んで来てシマッタ!!
俗に言う「三日天下」ですが、実際には「天下人」の
レベルでは無いですね、只単に混乱を招いてしまう
張本人。
でも、そこに哀愁漂う男の美学を光秀に感じてしまうのは私だけでしょうか、 唐松の子は、この一族郎党のため、耐えにたえぬく光秀の心情を自分とリンクして考えてしまいます、
これが唐松の子 、「明智光秀」命! の根幹です。
はなさんの所も「郷土三英傑」で信長・秀吉・家康と
人気がそれぞれにあるようですね、
また話を聞かせて下さい。
             「唐松の子(さかえ)」

投稿: 唐松の子 | 2016年8月 1日 (月) 20時07分

はなさん、本当にお久しぶりです。
なかなか、ブログ更新されていなくて、寂しかったです。

久しぶりに開いてみると、幾春別中学校にどのように通ってたかのギモン。

わたしは、テクテクと奔別から歩いてました。あの、ハルニレの木の横を通り、アップダウンを繰り返し、多分50分くらいはかかったように感じます。

もちろん、バス通学をしている人もいました。桜木町という所でおりてそこから、登り坂でした。

とても遠くて、大変だったことを覚えています。

投稿: iku | 2016年8月19日 (金) 19時35分

唐松の子さんへ

すみません。
コメントを公開するのを忘れました。

信長については、先日メールでお知らせしたとおりです。
ありがとうございました。

投稿: はな | 2016年8月20日 (土) 09時28分

ikuさんへ

お久しぶりです。
お元気でしたか?

ブログはさぼり気味で申し訳ありません。

幾中には奔別から歩いて通っていたのですか?
そう言えばhokepieさんも、あのハルニレの木の横を通って通学していたと言ってましたね。
50分は遠いですね。
雨の日や雪の日、重い鞄を持って歩くのはいやですね。

一時期の奔小は東洋一と言われてたようですが、なんで奔別に中学校はなかったのでしょうね?
不思議だ・・・

豊中市にししさんが引っ越されたそうですよ。
同じ大阪、ちょっと近くなりましたね。

投稿: はな | 2016年8月20日 (土) 09時41分

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