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2010年8月16日 (月)

三笠市奔別・幾春別を歩く

 幾春別の町を歩くと、昔なつかしい家が目につきます。

201005301 201005302

 左は蔵を改造したような「スナック エルム」さん。ツタが壁いっぱい這って、遠くからでも目につきます。右はエルムさんの向かいにあった「本間商店」。昔からあったんでしょうね・・・

201005303  そしてこちらが有名な「更科食堂」。中はレトロな昭和の雰囲気。おそばは白めの細麺です。

 詳細はこちらから ※念願願かなって行けました

201005304  幾春別から奔別に向かうバスは、この家の左側を右折して坂道を上がっていきました。私は覚えがないのですが、この家は当時何かを売ってるお店だったようです。

Ponbetu_tukimizaka

 左の端が上の赤い家。写真を撮っている所に鳥居があります。画面中央は今は更地になっていますが、当時は家がたくさん建っていました。右の坂道は「月見坂」と言って奔別の町に続く道でした。歩いてみると、こんなところバスが通っていたのかと思うくらい道幅が狭い。坂上まで500mぐらいですが、子供頃はとても長い坂道でした。

201005305  ここは川沿町。お風呂のあったあたりです。この写真の右側に川沿桂町に続く橋がありました。

 詳細はこちらから ※心引かれる奔別へ

201005306 201005307

 ここが川沿町。左の写真は2階建て長屋があった小学校側(坂道側)。右の写真は下で紹介する三叉路があった辺りから川沿町に下りてきた平屋長屋があったあたりです。当時は木なんか全然生えてなかったのに、今はご覧のとおり原生林の中です。長い月日が経ちました。

 今は上のお風呂があったあたりとは新しい道路で分断されています。

Ponnbetu_kawabata

 川端町の三叉路です。左の道正面にお店がありました。左側は高台になっていて、家が建ち並んでいたと思います。

 右の道路の奥、白いシートが見える辺りは広場になっていて、お盆のとき櫓が建って踊った記憶があります。

201005308  広場の奥からの風景。手前の道路の先に病院があり、写真を撮っているあたりに映画館がありました。今は写真の左側は上の川沿町に続く新しい道路ができています。

 昔の面影は道路だけです。その道路も奔別ダムに続く新しい道路ができたため、地形が変わってしまっている。

 わかるうちに記憶に収めておきたい奔別です。

 

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北海道三笠市奔別・幾春別」カテゴリの記事

コメント

かろうじてですが、お蕎麦屋さんだけはお邪魔したことがありますhappy01
たしか映画のセットのような感じで、メニューの幅は広かったと思いますflair
思いのほか上品な味付けに驚いた記憶がありますsign03

投稿: | 2010年8月16日 (月) 20時09分

お店に入ったとき11時半頃だったので、
お客は2組ぐらいしかいなかったのですが、
その後次々にお客が入ってきました。
それもどこからか来た人ばかりで、
「有名なんだなぁ・・・」と思いました。
値段はこの辺と比べたら安いと思います。eye

投稿: はな | 2010年8月17日 (火) 07時08分

またまたお邪魔虫です!
幾春別の食堂と言えば私は角のこけし食堂ですね、当時奔別から見ると立派な?「町の食堂」で充分贅沢でした!
今回の里帰りは時間的に余裕がなく、三笠には寄れませんでした、家族で行くのはちょっと無理かも?今度一人でじっくり感傷に浸りながら行きます!

投稿: にゃん | 2010年8月17日 (火) 19時32分

にゃんさんへ

「こけし食堂」・・知らないです。
ネットで探してみると、中華料理?T字路の角にあった?
どこ??
全然思い出しません・・・

幾春別に1人で行くのはまだいいけど、奔別に1人で行くのはちょっと怖いかも・・・
新しい道を歩いて川沿町まで行きましたが、人は通らない。車は通らない。草木がボウボウ。
奔別奥に行くのなら、車で行くことをお勧めします。

投稿: はな | 2010年8月17日 (火) 20時10分

おはようございます。
「こけし食堂」は旧道を通って三笠から幾春別に入ると「空知信金」の交差点の左手前角です、T字路ではなく十字路ですね、それとも昔はT字路?
閉山後も結構続けていたんじゃないかと思いましたが、詳しくは解りません。
私は逆に「更科食堂」は記憶にないんです、狭い町でもそれぞれの生活があったんですね。
奔別には車で行きます、でも最近エンジンの調子が悪くて・・・奥で動かなくなったら誰も助けてくれる人が居なさそうなので整備してからにします!

投稿: にゃん | 2010年8月18日 (水) 07時39分

にゃんさんへ

銀行のところなら十字路ですね。
銀行の斜め向かい側、靴屋さんの向かいということですね。
そんなお店があったんだ・・・
私は「更科食堂」もよく覚えてないです。
ただいっしょに行った彼女が「昔は・・・な感じ。」と教えてくれたので、「あぁ、昔からあるお店なんだ。」と思いました。
幾春別の町は漠然としか覚えてなくて、ほとんど記憶にありません。
ただ、本間病院が今は三笠に向かって右側にありますが、昔はカーブするところの左側にあったような気がします。
奔別の町も幾春別の町ぐらい残っていたら、見てても楽しいだろうけど、今の奔別はため息だけです。

札幌からだと近くていいですね。うらやましいです。
私なら時間があれば頻繁に出かけていると思います。

投稿: はな | 2010年8月18日 (水) 12時03分

お邪魔します。にゃんさんの言うとおり、空知信金の十字路の角に中華店?がありました。そこで私はラーメンを食べた記憶があります。
その当時は外食をほとんどしなかったせいか、とてもおいしく感じました。

パノラマ写真の右側の坂は「月見坂」というのですか。知らなかったです。
ただ、この坂を毎日のぼって奔別小学校に通いました。(新町時代)

桂沢に行く分岐する右側に病院跡が有り、今で言う心霊スポットになって、同級生と建物の中に入り、学校の先生に怒られた覚えがあります。

そういえば夏の甲子園の時になると「三笠高校」が初出場した時を思いだします。
後にも先にも一回きりでしたが・・・
新町の同じ炭住長屋のお兄さんが出場して
テレビ(白黒)を見て応援したことが懐かしい思い出です。

投稿: かど | 2010年8月22日 (日) 00時38分

かどさんへ

「月見坂」と言うそうですよ。
以前投稿してくれた「ししさん」に教わりました。
この道は奔別の象徴ですね。

〉桂沢に行く分岐する右側に病院跡が有り、今で言う心霊スポットになって、同級生と建物の中に入り、学校の先生に怒られた覚えがあります

この病院、どの辺にありましたか?
たぶん幾春別駅構内人道跨線橋の近くだったと思うのですが・・・

平屋の病院で廊下が長くて、奥におばあさんがいませんでしたか?
おばあさんに怒られて、爆竹を鳴らして逃げました。
そのことが学校に連絡され、翌日先生に大目玉をもらいました。
クラスメートのほぼ半分以上行ったと思います。
この事件、後にも先にもこれ1回だけだったと思うのですが・・・
と言うことは、えっ!!かどさん、同級生さんですか?

投稿: はな | 2010年8月22日 (日) 20時59分

はなさん こんばんわです。

病院の場所を思い出そうとしているのですが・・・・詳細な事は時に忘れ去られてしまいました。
爆竹を鳴らした覚えもあるような。
爆竹って、たぶん「2B弾」ですよね?
あの頃、これで随分いたずらしたと思います。

わたしが奔別に居たのは、小学校1年の途中から中学2年生の間です。

幾中は新町側から右手に墓場を通りすぎ、
道路を渡って橋を渡り、右手に木工所(割り箸工場?)を見ながら坂を上って通いました。
(そういえば幾春別川で釣りをして、ガッ パをたくさん釣ったなぁ)

炭鉱の合理化が始まり、家族で愛知に来たと言う訳です。
その頃の友達は今、どこで何をしているのか?・・・

思い出のひとつとしては、秋になってくると桂沢方面に友達数人とよくクルミを取りに行きましたよ。穴を掘って埋めた後が大変でした。手が。

でも懐かしいことが共有出来て、とてもうれしいです。

投稿: かど | 2010年8月25日 (水) 22時57分

かどさんへ

病院は「旧旧幾春別小学校あたりを歩く」の⑦番辺りにあったと思います。
http://akiiro-sakura.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-8783.html

私は小学校の3~5年生の間しかいなかったので、中学校はどこにあったのか知りません。
幾春別の町は駅と海容寺に習字を習いに行った以外、ほとんど知らないです。

そういえば一家が神奈川県に引越しした同級生が、本人だけ幾春別に残って三笠高校に通い野球部に所属してましたよ。

桂沢は今の西桂沢公園辺りに夏になるとほぼ毎日、クワガタを捕りに行ってました。
道路の途中に清水が湧いていたり、いいところでしたね。
今後奔別に行く機会ができたら、まだまだ行こうと思っています。
またお立ち寄りください。
コメントありがとうございます。

投稿: はな | 2010年8月26日 (木) 22時56分

「はなさん」お久し振りです。新しい投稿を期待しながら時々覗かせてもらってます。「かど」さんの内容に「新町」の名が有ったので出てきました。海容寺の横の細い道を抜け石炭を洗った汚れた小川の橋を渡って突き当たりの山の麓に住んでいました。奔小。幾中もここから通いました。墓は遊び場で、特にお盆のローソクを回収して「ポンポン舟」の燃料として洗濯たらいの中でよく遊びました。昭和22年の「幾春別大火」(検索で)を知る程度の方の書き込みは無理かな!!年齢が高すぎる?
こけし食堂は、昔パチンコ屋さんでした。
(一発撃ち)ミシン店だったり時代と共に良く変わるお店でした。奔小へ通う角の店で郵便局や田士金物店と写真の赤い屋根家を曲がって月見坂に至り坂の途中の急激な坂が懐かしいです。走って競争して下りました。「はな」さんのお陰で昭和33年三笠高校卒業の私の、冥土のみやげ話が増えました。

投稿: ししちゃん | 2010年9月 3日 (金) 17時08分

ししさんへ

お久しぶりです。お元気でした?
5月末に幾春別、奔別に行ってきたんですよ。
新町の辺り写真撮りましたよ。見てくれましたか?

※「3回目の幾春別へ」
http://akiiro-sakura.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-4e5a.html

「かどさん」は新町にいらしたそうですよ。
それから三笠のモダンアート・ミュージアムに
奔別小学校の校旗や校章、昭和35年当時の
川沿町方向から見た奔別小学校と昭和29年の
中ノ沢・曙町という写真がありましたのでししさんに
送りましたよ。
見てくださいましたか?
もし見落としたら教えてください。
また送ります。

夕張の方も見てきたのですが、どんどん自然化して寂しい限りです。

投稿: はな | 2010年9月 3日 (金) 20時22分

暑い日が続きますが、いかがお過ごしですか。私も奔別川端町出身の者です。長く故郷を離れていたのですが、懐かしい写真がありましたので、お邪魔しました。私は、中川端にいて、奔別小学校、幾春別中学校、三笠高校まで通いました。月見坂を何度通ったことか。懐かしいと同時に、何もない写真を見て、「夏草や兵どもが夢の跡」の感傷そのもですね。奔別立坑が残っていて、せめてもの名残ですね。たしか、ドイツ人の技術者が来た記憶があります。映画館では、随分と映画を見ましたし、生協や、配給所(店)、集会所など、思い出します。汽車の記憶など、当時の記憶が思い出されます。一度また行ってみようと思ってます。また、お邪魔します。

投稿: Y・O | 2010年9月 4日 (土) 04時49分

Y・Oさんへ

中川端・・・三叉路のあたりでしょうか?
月見坂は当時はもっと広かったように思うのですが、車が1台通れるくらいの道幅しかありません。
距離も長かったように思いますが、実際は500mぐらいしかないです。
あのたくさん並んだ住宅は影も形もありません。
あのたくさんの人はどこへ行ったのでしょう。
「もともとここには何もなかった・・・」と言ってもいいくらい自然化しています。
寂しいですね・・・
今の奔別=立抗のイメージしかなくなってしまいましたが、ここにたくさんの人が生活していた思い出はとても貴重に思えます。
年々変わっていくように思います。
是非なごりが残っているうちに行ってください。
行かれるのなら春(4月初めから新緑になる前)をお勧めします。
夏は草木がボウボウで地形がよくわかりません。
秋はただでさえ感傷的になるのに、うら悲しくて寂しくなります。
コメントありがとうございました。
またお立ち寄りください。

投稿: はな | 2010年9月 4日 (土) 20時58分

はなさん、大きな写真を壁に展示中?接写で三枚確かに頂きました。三笠博物館所蔵の貴重品の一部かなー※奔別会館等…手前の奔別神社が立派だよ!この奥の本沢町に親が居ました。戦前の旧炭坑は、五の沢鉱」などこの辺から上部の山が活況をていして韓国から連れられてきた人たちも沢山働いていましたとさー。会社事務所もこの付近に有ったそうです。写真の炭山郵便局と配給所プールや生協をそのまま山に向かうと(下川端に曲がらず)なだらかな左上がりの坂の上に奔別炭鉱の坑口や事務所と旭ヶ丘町が有りました。家の窓から眼下は下川端町、病院と会館と配給所(購買)へ鳥居沢町と夜景がきれいに見えました。Y・Oさんも、三笠高校の後輩かな33年卒で白戸校長でした。後輩に「小日向文世」(続三丁目の夕日)の時代かな……三笠高校も募集を止めて廃校らしいね。

投稿: ししちゃん | 2010年9月 5日 (日) 16時13分

ししさんへ

近くで接写したので、どうしても光が入ってしまいきれいに写りませんでした。

>炭山郵便局と配給所プールや生協をそのまま山に向かうと(下川端に曲がらず)なだらかな左上がりの坂の上に奔別炭鉱の坑口や事務所と旭ヶ丘町が有りました。

上の三叉路の写真の左側の道の左に白いシートがある上の辺りが旭が丘町ということですね。
今度行ったとき行けたら見てきます。

三笠高校廃校ですか?!
三笠高校には縁がないのですが、なんか非常にショックですね!
やっぱりまた訪れたいと思います。

投稿: はな | 2010年9月 5日 (日) 20時41分

※私が執拗にこだわるのは、卒業アルバムが無いのです奔小・幾中もさ!。家を出て親元を離れているうちに、無くなりましてこの年になって昭和の良き時代を?「貧しかったけれど、今のような閉塞感はなくで、頑張れば誰でも未来が開けそうな希望が抱けた時代」昔が恋しくてはなさんにお声をかけました。奔小学校の校歌……少し想い出しました。「奔小のカラーの写真は珍しいや」我ながらセンチメンタルになって年を感じます。どうも!どうも!又、お邪魔虫です!

投稿: ししちゃん | 2010年9月10日 (金) 09時51分

ししさんへ

そうですね。
この頃は何にもなかったけどいい時代でした。
隣近所が集まってお餅をついたり、親が仕事で遅くなると「うちにおいで。」と隣のおばさんが呼んでくれたり、地域が暖かかったです。
少しぐらい何か残っていれば、感動もまた違うのでしょうが、「何もない。」のがただ切ないです。

投稿: はな | 2010年9月10日 (金) 19時54分

ししさん!
昭和33年卒業ですか!
私の母も33年三笠高校卒業と思われます。
母が奔小なのか幾小なのかは知らないのですが…。
卒業アルバム持っているかも?持っていたら母から借りて来ます!母は昭和14年3月8日生まれ、旧姓は宮崎です。心当たりありますか?
はなさん
奔別、幾春別の写真、どんどんアップして下さい。
寂寥感漂いながら見ています。

投稿: 山下アキラ | 2010年9月15日 (水) 11時04分

ししさん!!

山下アキラさんから問い合わせが来てますよ!!


山下アキラさんへ

ししさん、きっとお母さまといっしょだと思いますよ。
ご存知かも・・・

奔別のブログは写真があるだけアップしようと思っています。(かなりアップしたので、もう底をついていますが・・・)

山下さん、よろしかったらアドレス教えていただけますか?
コメントするときメールアドレス入力してください。
(アドレスはブロク上には公開されません)
ししさんと連絡をとって見ます。

投稿: はな | 2010年9月15日 (水) 11時55分

ありがとうございます。きっと誰かが「秋色桜」を見ていてくれて
誰かとお会い出来ることに期待を掛けて、コメントを
うるさいほどお出ししてました。
 幸福を掴めた気分です。
高校のアルバムは、私自身が持って、就職先へ移動しました
から、有りますよ。
私、昭和14年1月の早生まれです。中学3年生で例の
幾春別駅前の「廉岡外科産婦人科病院入院」長期
入院して高校受験ができず。昭和30年に三笠高校へ
入学しました。「1年D組」です」担任は。湯浅先生です

何が、良いことが起きそうな予感がして、ワクワクしてます。
一年遅れの幾中生として、聴講生で少し通いました
宮崎さん、分かりそうです。高校のアルバムを見たら??

遅くなって、ごめん御免!今やっとパソコンの前に来ました。

19時05分です。・・・・・・期待してます。出会いをさ~~

投稿: ししちゃん | 2010年9月15日 (水) 19時24分

ししさんへ

やっとメールに気がついてくれましたか?^^
山下アキラさんにししさんのアドレス教えていいですか?
そうしたら詳しい話を直に聞けると思います。
いかがでしょう?
返事ください。

投稿: はな | 2010年9月15日 (水) 21時47分

こんにちは、なぜかこの画面に来てしまいました。
私も奔別出身で、懐かしく写真を見させてもらいました。
ほんとに懐かしいです。奔別炭坑が閉山する前に東京に引っ越してきました。(1970年ごろで中三の時でした)
父は病院の事務長をしておりました。家は川端町でした。写真の月見坂のカーブの所にラーメン屋がり、カーブの内側には釣り道具がありましたね。奔別方面に行く月見坂の途中の崖に細い道があり、そこを上がると奔別小学校の横に出ますね。三笠高校が甲子園に出場したのが中学2年の時、一枚の写真で何十もの思い出が溢れ出てきました。ありがとうございます。感謝。

投稿: とし | 2017年1月29日 (日) 20時55分

としさんへ

初めまして。
訪問ありがとうございます。

>写真の月見坂のカーブの所にラーメン屋がり、カーブの内側には釣り道具がありましたね。

カーブの内側の釣り道具屋ですか・・・
私はおぼろげにショーケースがあったと思います。
そこに何が置いてあったかは覚えてません。
それがちょうどカーブするところだったのか、(カーブする対面には鳥居があります。それは今でもあります。)
もうちょっと奔別側だったのか、思いだせません。
2013年の5月に奔別に行ったときは、月見坂から奔小に上がる道を見つけました。
とても感動しました。
みなさん、よく通っていましたよね。
http://akiiro-sakura.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-3ef3.html

悲しいけど、今では何にも残っていません。
月日が流れるのは早いです。
こうして奔別は自然に戻っていくんですね。

またアドレスの方にメール致します。
コメントありがとうございました。

投稿: はな | 2017年1月30日 (月) 19時49分

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