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2010年6月 5日 (土)

心引かれる奔別へ

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 この道の突き当りを左に曲がれば月見坂。奔別の入口です。

 三度やって来ましたねぇ・・・

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 この道は立抗同様奔別の象徴ですね。この道には遠い昔にたどり着く入り口の道のように思います。

 相変わらず無言でそびえ立つ立抗は傾いてきているとのこと。崩れる前にどうにかしてほしいですね。去年見たときより朽ち果てているような気がする。

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 坂の途中の立抗への入口だったところから斜めに奔別小学校方向へ上って行く小道がありました。仕事へ行く父の見送りについてよくこの坂を上り降りしました。木々が生えているところをじっと見ていると草丈が幾分低いところが線のように続いています。これがきっと当時の道だったと思います。長い年月が経っているのに確認できるのはうれしいです。

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 ここが奔別小学校跡地です。右側に幾春別小学校へ続く道があります。前に書いた小道を上ってくるとこの道に出ます。この道をずっと行くと・・・

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 このあたりが幾春別小学校(旧旧幾春別小学校です)ですね。当時は同じような校舎が向かい合わせでありました。木の生え方からすると、奔別小学校の校舎は資材置き場に使われていたというので、幾春別小学校の方が校舎を先に壊したのかも・・・

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 もうちょっと先に行くと今はお寺があるのですが、その手前にこんな家が・・・覚えがないのですが当時もあったかも知れません。

 右手の家は木々の中に建っているのですが、つい最近まで人が住んでいた気配がします。彼女が言うには、当時のままの家で塾の先生のお宅だそうです。当時こんなハイカラな洋風の家があったのですね。ビックリです!

 家自体がきれいで、朽ち果ててないのですよ。ホントにごく最近までどなたか見えたのかも知れません。

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 来た道を戻ってさらに奥へと行きます。

 左の写真は川端町の二股に分かれる道路。正面突き当たりにお店がありました。左はちょっと高台になって住宅が並んでいた記憶が・・・このあたりに床屋さんがあったそうです。今は削られて広い平地になっています。

 右の写真は生協(?)があったあたり。でも地形が少し高くなっているのできっと、奔別ダムへ続く道路を作ったとき盛り土をした感じがします。現在の露天坑の会社があるあたりです。

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 露天坑のある会社から新しい道路に出た辺りにある道。この写真を撮ったあたりが映画館があったあたりで、この道路の先の左にカーブしたあたりが病院があったところだと思います。

 そしてここは川沿町。住んでいたところです。

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 何度見ても言葉にならない思いがあります。

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 この道路は一昨年まで草むらに埋もれていました。奔別ダムの土砂廃棄場へのトラックの通り道として去年来た時にはあったので整備されたようです。この坂を上って行くと川端町のバス停に行きます。そして新しい道路を突っ切って草むらを下っていくとあったのですよ・・・川沿桂町に続く橋げたが・・・

 そして新しい道を川伝いに戻っていくと、こんな道が・・・

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 この道は奔別橋に続く道です。そしてその先に見えたのがその「奔別橋」です。この橋を渡って桂沢方面に行ったのです。これは感動ものです!

 恐る恐る渡ってみました。

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 橋を渡りきったこの分岐点。右に行くと桂沢、左に行くと川沿桂町。

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 左がその川沿桂町方面。右が桂沢に続く道です。

 3回目にして川沿町の橋げたも、そして奔別橋も見つけることができました。遠い昔になってしまったけど、まだそれなりに残っているんだと心の中で涙した。

 いつかすべて自然に埋もれてしまうかもしれないけど、こうやってみた光景は心の中にずっと残しておきたいとずっと願っています。

 同行してくれたAさん、おかげで楽しい一日になりました。ありがとうございました。

※過去の奔別・幾春別のブログ

  三笠市桂沢湖から夕張へ

  3回目の幾春別へ

  懐かしい便り 奔別川沿町

  懐かしい奔別小学校跡地

  再び奔別にやってきた2

  ぶらり幾春別2

  再び奔別にやってきた

  ぶらり幾春別

  三笠市奔別と幾春別

  三笠市桂沢

  三笠市奔別

 

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コメント

生まれ故郷の奔別を検索していたらこちらに辿り着きました。懐かしいの一言です。
私は立抗が完成した年の1960年に本間病院で生まれました。映画館やスーパー、炭鉱病院があった所から更に上っていくと小さな橋があり、渡りきった所の左手に住んでいました、確か中ノ沢だったと思います。小学校3年生の時に山の手に引越し奔小から幾小に転校しました。閉山になる少し前に同じ炭鉱町の芦別に移りましたので、三笠の思い出は可也薄れてきましたが、ゴジラやガメラの映画を当時50円位で見に行った記憶や病院の前の公園?広場?には亀の石像なんかがあった記憶があります。生協?ではウインターキャラメルを買った事も…変な記憶ですが。
幾春別では山の手から駅に向かう鉄橋の手前の生協?や床屋の事を良く覚えています。こちらの写真を見てちょっとセンチメンタルになりました。良い物を見せていただき有難うございました。

投稿: | 2010年8月 2日 (月) 13時03分

初めまして 

中ノ沢の小さな橋、覚えています。
奔別川に注ぐ川で、何年だったか台風でこの川が濁流になって住宅を押し流しているのを見に行きました。
この時はすごかったですね。
奔別川の橋向こうの家は、橋が流されて孤立し、洗濯機や冷蔵庫が流れているのを覚えています。
今回行ったとき、映画館があったあたりから、その橋に向かう道が残ってましたよ。
鳥居沢、中ノ沢辺りは新しい道路ができたので、地形がだいぶ変わっています。
(私の記憶がはっきりしないのかもしれませんが・・)
病院は木々に囲まれた平屋の病院、生協は倉庫のように天井が高かったこととか、夏に浮き輪が天井に飾ってあったこと、そのぐらいしか覚えてません。
川沿町に住んでいたので、病院のそばの生協にはほとんど行かなかったです。
私は3年連続行ってみたのですが、1年1年様子が変わっていると思います。
寂しいことですが、自然と化すのも時間の問題でしょう。
コメントありがとうございました。


投稿: はな | 2010年8月 3日 (火) 22時00分

お返事有難うございます。
台風の事憶えています。亡くなった方もおられました。
私の家は橋を渡り左に入ると直ぐあり、川から見ると高台になっていましたので被害はありませんでしたが、奥の方の宅地はそこから下って沢になっており、大きな被害になりました。
こちらのブログを拝見していたら、里心がつきました。
お盆は札幌から実家のある芦別に里帰りの予定ですので、何十年か振りに是非奔別に寄りたいと思います、幾春別にはまだ親戚もいることですし・・・。
有難うございました。

投稿: | 2010年8月 4日 (水) 09時48分

台風のこと覚えていらっしゃいますか・・・
あの時はホントにすごかったです。
川沿町も平屋の家は水に浸かるんではないかと思いました。
いた期間は短く遠い昔なのですが、断片的に覚えています。
芦別にお帰りになるとき、三笠の「ミカサ・モダンアートミュージアム」に寄って見てください。
今回初めて行ったのですが、奔別小学校の校舎の写真、校章、川沿町、中ノ沢の写真(昭和29年当時の写真で様子が少し違いますが、道路はそのままです)などがあり、とっても懐かしいですよ。

http://www2.city.mikasa.hokkaido.jp/kanko/art.html

三笠市役所からわりと近くにあります。

幾春別の町も閑散としてます。
まだ名残があるうちにご覧になってください。

投稿: はな | 2010年8月 5日 (木) 09時56分

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