« 札幌月寒界隈ぶらりぶらり | トップページ | 念願かなって行けました »

2010年6月 3日 (木)

3回目の幾春別へ

 5月の末の日曜日、懲りずに来ました奔別に・・・

 何かに引かれる奔別。3年連続で訪れている奔別。それでも1年、1年ずつだいぶ変わってきています。

 今回は・・・いるんですねぇ・・・私みたい人が・・・

 年は私より1つ下の方なのですが、同じ川沿町に住んでいたという方と知り合いここに来ました。彼女もきっと何か共鳴するものがここにあるのだと思います。

 今回は札幌から岩見沢まで電車で移動です。

P1010250 P1010251

 岩見沢の駅はとてもきれいです。北国らしいすがすがしい感じの駅です。でも駅前のメインストリートは人影がありません。閑散としています。

 駅前近くでレンタカーを借りて三笠に向かいました。

P1010261 P1010255

 三笠から幌内に向かいミカサ・モダンアートミュージアムへ。

 ここには奔別小学校の校章が残っていました。そして昭和35年の川沿町の写真も・・・

 私はまだここにいなかったのですが、道路の配置が記憶といっしょです。

 すごい発見です。感激です!

P1010262

 途中の唐松駅、地元の人が花壇の手入れをしていました。車から降りて中を見学。切符売り場などは当時のままです。

 さてここから幾春別の町です。胸がドキドキしています。

P1010263

 入口の海容寺。左に新しいお寺が建っています。去年来た時にはありませんでした。

P1010265 P1010264

 海容寺裏にある旧幾春別小学校です。

 校舎もプールもそのままに残っています。

 そしてこのブロンズ像。奔別小学校20周年記念の冊子に載っていたブロンズ像です。

  私は記憶にないのですが、いっしょに行った彼女が「確か正面玄関の職員室前にあった。」と言ってました。

 奔別小学校が廃校になって幾春別小学校に移動してきたようです。こんなところに置いてないで、奔別小学校跡地に置いてほしいですね・・・

P1010266 P1010267

 旧幾春別小学校の前の道から見た風景。左が奔別新町方向。(ししさん、今の奔別新町ですよ~。昔と全然違うでしょうね~。)右が弥生町方向です。

P1010281

 立抗前にある幾春別中島町です。昔もこんな感じの住宅が建っていたように思います。

P1010269_2 P1010268_2 

 ここはバスが通っている道。左が本間病院、弥生方面へ。右が奔別へと続く道です。

横断歩道の右にある山口靴店さんを曲がると幾春別のバスターミナル、昔の幾春別駅です。横断歩道を左に曲がると奔別川沿町、川端町に続く道です。

P1010274_2 P1010277

 ここが幾春別の駅があったところです。日曜日だというのに人が全然いません。寂しい町です。左が駅前通り、右が駅裏の山手町方向です。 

P1010272

 今は当時の面影は何にもありません。ただ昔駅があったと言う石碑が残っているだけです。これがなかったらこのあたりに線路があったなんてわかりません。

P1010282

 駅前から立抗に向かっていくとある赤い屋根の古い家。この家の左手を曲がるとあの膨大な炭住が並ぶ奔別の町に続くのです。

 幾春別の町は閑散としてます。去年来た時開いていた店が今回は閉まっている。段々数が減り、静か~な町になっていくんでしょうね。

|

« 札幌月寒界隈ぶらりぶらり | トップページ | 念願かなって行けました »

北海道三笠市奔別・幾春別」カテゴリの記事

コメント

確かこのあたりで取れた石炭を出荷するために、鉄道が引かれ小樽の港が開発されたんじゃなかったでしたっけthink

投稿: | 2010年6月 3日 (木) 21時51分

鉄道は通ってましたが、石炭を運んでいたかは覚えてません。
一番近い港は小樽だから、ありえることかも・・・
相変わらず静かな町でした。
お天気がよく景色も空気も新鮮でしたよ~sun

投稿: はな | 2010年6月 4日 (金) 20時06分

はなさん、対応!返事速くて、嬉しいです。奔小の校章有り難う!「校舎正面の職員専用玄関の上に掲げてありましたよ。懐かしいなーー。薄い鉄板の浮き出しで裏側に二つ割りピンが半田付けされていました。幾春別尋常高等小学校「当時、日本有数のマンモス校舎」が大火で消失して幾小・奔小になり、最初に入ったのが我々世代ですから校章も決まったと校長先生から朝会でお話が有りましたよ。中学三年生の時変な病気を煩い、本間病院で二昼夜を明かし、翌日幾春別駅前の「門脇外科産婦人科病院」に転院して、洞爺丸台風の時も入院中でしたから、写真のどれもこれも涙が出そうな程に身に応えます、ズーンと心を揺すられる一コマですよ。新町はズリ山の麓ですから冬はスキーの斜面として活用、夏は煙を吐くズリ山の煙が石炭のいぶした臭いが懐かしいです。
斜面はなぜか「スッカンコ」が沢山生えていました。兵隊さんの煙草の葉っぱ代用品として、乾燥させて並べて積み上げて送られました。

投稿: ししちゃん | 2010年9月 4日 (土) 17時33分

ししさんへ

ししさんのいた頃の幾春別はきっとにぎわっていたのでしょうね・・・
今の幾春別は静かです。ひっそりとしています。
奔別の方は、人の気配がありませんよ。
ししさんのメールアドレスの方に、
昭和29年当時の曙町、中ノ沢町の写真を送りました。
是非ご覧下さい。

投稿: はな | 2010年9月 4日 (土) 21時08分

※メール間違いなく届きました。「ビックリ」しました。こんな素適な僕の観たかった、希望・要望通りの写真が有ったんですね。インターネットで検索しては捜して居たんですが。今いち、満足できずに旅?をしていました。圧縮を解くと大きな写真が出てきて二度ビックリ。なっかしいなーと想わず声が出て・涙が出そうに成りました。
 私の入学前は、本沢町・入学は坂下町(月見坂に下)幾春別大火で川端町の二階で間借り・中学年は曙町の新築へ。その後、新町のやや間取りの広い新宅へ、この地で高学年から中学生卒まで、その後父の怪我で旭ヶ丘町へ。昭和35年に私だけは奔別とお別れ、家族はその後に本沢町へ、父は、この地が最後でした。「はなちゃん、私の代わりに奔別町へ旅行してくれて感謝・感激・雨あられ」先回の航空写真に続き感謝してます。三回目のレンタカーを借りての移動には、並々ならぬ意気込みを感じますが??「私は、悲しくなるので現地を見るのが怖いぐらいで居ります。年齢がそのようにさせるのでしょうかね??お世話に成りましたね。

投稿: ししちゃん | 2010年9月 5日 (日) 11時33分

ししさんへ

昭和29年当時の曙町、中ノ沢町の写真喜んでもらえてよかったです。
私もこんな写真が三笠のモダンアート・ミュージアムにあるなんてびっくりしました。
この当時のことは生まれてもないし、奔別にもいませんでしたので知りませんが、道路や住宅の配置が私がいた時と全くいっしょです。(2階建てが平屋になっているところは多々ありますが・・・)
非常に懐かしかったです。

今年は奔別に同じような気持ちを抱いている人と知り合い、夕張の方も兼ねてレンタカーで廻りました。
彼女の方が奔別、幾春別のことをよく知っていて、教わったところがたくさんあります。
また機会がありましたら、訪れてみようと思っています。

投稿: はな | 2010年9月 5日 (日) 20時20分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1091718/35037812

この記事へのトラックバック一覧です: 3回目の幾春別へ:

« 札幌月寒界隈ぶらりぶらり | トップページ | 念願かなって行けました »