藤の下の散歩道
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ここは信長の3男、織田信孝の菩提寺でもあります。
信孝の母は側室の坂氏と言い、次男の信雄(母は生駒氏)より数日早く生まれたという説がありますが、母の身分が低かったため3男にされたと言われています。しかし坂氏は北伊勢随一の豪族関氏の庶流鹿伏兎氏の庶流にあたり、けっして生駒氏に見劣りする出生ではない。(Wikipediaより)とも言われ、信長の寵愛を受けた生駒氏がいかに特別な存在であったかがわかります。
信孝は北伊勢の神戸城主具盛の養子となりますが、本能寺の変後、兄の信雄に攻められ愛知県美浜町の野間大坊で自刀します。その首級は神戸城で受け取りを拒否され、この福蔵寺に葬ったそうです。享年26歳の若さでした。美浜町の安養院では信孝の自刀の血染めの掛け軸があるそうです。
出生のときから因縁があった兄弟ですが、悲しい戦国時代の定めですね・・・
またこのお寺には、亡き父の仇討ちを行った「関の小万の方」のお墓 があります。また小万が生まれ育った「山田屋」は13日に紹介した現在の「あいずや」で今も残っています。
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関宿の真ん中あたり、中町の町並みの中心地にある地蔵院です。
国の重要文化財に指定されているりっぱなお寺です。関宿の町通りに面しているのはこのお寺だけです。それだけ重要な由諸あるお寺のようです。
新所の町並みの町屋です。古いものでは18世紀中頃に建てられた家屋もあるようですよ。
塗籠(ぬりごめ)の中二階、格子の窓が昔の面影を残しています。
「本日のランチ 関宿弁当 コーヒー付で780円」の看板を見て恐る恐る店内へ・・・
店内はこじんまりとしていてなかなかいい雰囲気♪
出てきたランチは2段の重箱の中に小皿が8皿。それが風呂敷に包まれて出てきます。後はご飯と味噌汁とお茶。食後にコーヒーがついて780円はお得!!だいたいこんなところで780円でランチは食べれないでしょ!!最初は何が出てくるか不安でしたが、ヘルシーな和食でなかなかおいしかったです。
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三重県亀山市にある関宿に行ってきました。
東西1.8kmの関宿は江戸時代に東海道53次の47番目の宿場町として栄えたそうです。雰囲気的には妻籠・馬籠のようなのですが、テーマパークではなく、一般の家が建ち並ぶ国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。岐阜の岩村町と同じ環境ですね。愛知の有松町を大きくしたような感じです。(有松は名古屋市町並み保存地区に指定されています)
町の中心部にある中町の町並みです。このあたりは人通りも多く一番活気づいています。当時もこのあたりが要となった地でしょう。
中町から西側の新所の町並みです。この先に行くと鈴鹿峠、大津です。
中町から東側、木崎の町並みです。この先は亀山、四日市方向です。
平日だったので人通りも少なくひっそりとしていました。
昔の人はここを歩いたのですね・・・
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ここは江南市小折。
信長の側室であった吉乃の方が住んでいた生駒屋敷跡地です。
現在この裏は保育園の敷地となっていますが、ここの案内標識によると屋敷跡は膨大の広さでした。
生駒氏は藤原氏の子孫で奈良県生駒山麓の出身で、応仁の乱が続いたのでこの地に旧縁をたどってやってきたと言われています。運送業で財を蓄え、勢力をもったと言われています。
この頃信長は清洲城に居ましたが、生駒屋敷を訪れるようになり、夫を戦いで失った若き未亡人で屋敷に戻っていた吉乃の方をみそめます。その吉乃御殿のあった場所が、ここより200mぐらい東に言った龍神社付近です。
また生駒屋敷は、桶狭間の戦い、美濃攻めの戦略を練った場所だと言われています。戦いの費用は生駒氏によって賄われたと言うのですから、いかに財産があったかがわかります。
そして以前にも紹介した久昌寺。
このお寺は吉乃の方が没したときから現在の寺名に改名されたそうです。
久庵桂昌大禅定尼
生駒一族の中にひっそりとたたずんでいました。
信長との間に2男1女を立て続けに産んだため、体が衰弱して病に伏し、亡くなってしまった吉乃の方ですが、比叡山の焼き討ちで大量虐殺をし、魔王と恐れられていた信長に寵愛された唯一の女性です。
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ここは岩倉市神明生田神社境内。
「贈従三位山内一豊生誕地碑」と書かれた石碑が巨木の間にたたずんでいます。
これより北西の黒田城近くの法蓮寺にも一豊生誕地の碑があり2説あるようです。
ここより南の五條川近くに岩倉城跡があり、一豊が15歳の時、織田信長は織田信賢の岩倉城を落とし、尾張を統一しました。これにより父盛豊は自刀し、幼い一豊は母とともに諸所を転々とする羽目になりました。
平成18年に放映された大河ドラマ「功名が辻」の記念碑がこの近くにあります。
以前ここに来たときは、この大河ドラマが始まった時だったので、かれこれ3年になります。
一豊は父の敵、信長との強烈な出会いによって臣下になるわけですが、信長、秀吉、家康と主を変えながら、戦国時代を生き抜き、土佐一国の大名と言う地位につくその影には、妻のお千代さんの助けがあったからだと言われてますね。
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