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2009年2月22日 (日)

信長によせて 信長を悩ます知謀の軍師 

 ここは岐阜県垂井町。

Yaguramon  竹中陣屋跡の櫓門です。横には、『楠木正成公の再来』と讃えられた名軍師・竹中半兵衛の像が建っています。

 この陣屋は竹中半兵衛重治の子重門が父の死後、菩提山城を廃して構えました。竹中半兵衛重治までの居城は陣屋の北方の菩提山城でしたが、山城で不便なことから麓に陣屋を築いたといいます。 竹中氏は江戸時代に旗本となり、13代続いて明治を迎えました。

 Zinyaato
 
櫓門の中は現在、岩手小学校、幼稚園、岩手公民館、菁莪記念館の敷地となっていて、その広さはかなりあり、小学校北側には屋敷部分を取り巻く土塁と堀が今でも残っています。 奥に見えるのが菩提山です。

Zendouzi ここは禅幢寺。

 竹中家の菩提寺です。半兵衛の孫、重常が建立したものだそうです。陣屋跡から北に進んだところにあります。

Hanbei_grave 竹中半兵衛重治の墓所です。

 近くには竹中氏一族代々の古いお墓があり、時代の流れを感じさせます。古い田舎のお寺らしい静寂さが、長い眠りについている人々を包んでいる・・・そんな感じのお寺です。

 竹中半兵衛重治は、豊臣秀吉の参謀として活躍した名将であり、黒田官兵衛と並んで天才軍師と称される戦国時代を代表する軍師です。

 織田信長による美濃侵攻が激しくなるなか、酒に溺れて政を顧みようとしない主君の龍興を誡めるため、わずか10数名で龍興の居城・稲葉山城を急襲し1日で奪取しました。

 半兵衛は信長の城明け渡し要求を拒絶し、半年後に自ら稲葉山城を龍興に返還し、隠棲しました。

 豊臣秀吉はこれを見逃さず寝返りを説得し、半兵衛も秀吉の人柄に惚れ、織田方に参謀としてつきます。以後、『知謀鬼神のごとし』とうたわれ鋭敏な采配で秀吉を補佐しましたが、兵庫県三木城攻めの陣中で病に倒れ他界しました。36歳と言う若さでした。

Tarui  わずか36歳という若さで病に倒れ、異国の地で亡くなった半兵衛にとってさぞ無念だったと思います。

 今も相変わらずののどかな田園風景が続く垂井の地です。

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織田信長」カテゴリの記事

コメント

歴史を身近に感じられる、子供たちがうらやましいです~
我が家のお笑い好きノーテンキ息子に見せたいです!happy02

投稿: かほく | 2009年2月22日 (日) 21時25分

昔の武将は、まさに“生きている”太く短く燃え、生きている。
そんな激しい生き方ができる世の中だったことがうらやましい気がします。

投稿: くらんぽん | 2009年2月23日 (月) 05時55分

かほくさんへ

北海道は歴史が新しいので、
こんな時代は縁がないかもしれませんね。
こちらはお城跡地は学校や官庁の敷地に
なっているところがほとんどです。
都会だと造成されて、建物が建って範囲が
狭くなりますが、田舎だからこれだけ
残っているのかもしれませんよ。

投稿: はな | 2009年2月23日 (月) 08時37分

くらんぽんさんへ

『太く短く生きる』
なかなかできないことですよね。
自分の跡を残すというのは、並大抵ではできません。
日々、なるべくそれに近づけれるように
努力をしているつもりですが、どこか
抜けている自分に落ち込みます。

投稿: はな | 2009年2月23日 (月) 08時41分

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