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2008年12月 9日 (火)

信長によせて 比叡山焼き討ちの意図

 比叡山。琵琶湖から眺めると聖なる山の威厳が伝わってきます。(参照:行ってきました比叡山)

 山一面がすべて境内となっている延暦寺。1200年以上に渡り、仏法を学び厳しい修行に明け暮れる日々は今も昔も変わらないでしょう。

 姉川の戦いで浅井・朝倉軍が敗退したのは足利将軍義昭にとって一大事であったでしょう。その後押しをしてくれたのが比叡山延暦寺であったと言われています。

 信長はこれに激怒し、聖なる山を焼き討ちにします。義昭に対する恨みだけではなく当時の比叡山は、平安時代末から時の権力者として朝廷も認めざるを得なかった「山法師」、この比叡山延暦寺の僧侶たちが権力を揮っていました。

 この山法師の内から武力をもって名をはせる者が登場し、鎌倉時代末になるとその勢力は強大なものになりました。

 京都を守るべき役目の僧侶たちは、日常の修行をおろそかにし、肉を食べ、淫乱にふけり、金目の財産を蓄えることに力を注いでいることを許すことはできない・・・

 当時の比叡山僧侶は、冬は雪が降って寒く、夏は湿気があって暑い比叡山を離れ麓の坂本の町で暮らすようになり、妻帯者もいたようです。いるはずがない女、子どもも焼き討ちにあいました。

 この焼き討ちで800年の貴重な古文書、文化財はことごとく灰になり、犠牲者は3000人に及びました。

 腐敗しきった山法師の独裁精神を信長は許すことができなかったのではないでしょうか。

 秀吉の時代になって延暦寺にこの山法師の姿はありませんでした。

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コメント

信長や比叡山焼き討ちの意図、納得、

それぞれの本分をわきまえて生活するべきですね。心に留めます。

投稿: くらんぽん | 2008年12月 9日 (火) 15時00分

比叡山の焼き討ちも長島の一向一揆の弾圧も、宗教が国の政治をつかさどることなどもってのほかと戦いの徹底さを世間の人々にアピールすることが必要だったのでしょうね。
この焼き討ちによって以前の威厳の高い比叡山となり、厳しい修行を積んだ僧侶は比叡山を日本の仏教の聖地と導いて行ったのですよ。

投稿: はな | 2008年12月 9日 (火) 22時26分

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